乙女心と下心

 本日、佳主馬は次の日が休みなのを良いことに健二が在籍している研究室に彼女を迎えに行き、たまには外食でも……と言いながら予約しておいた店でスペイン料理を堪能して、美味しかったねと喋りながらまんまと恋人の部屋に上がりこんだ。
 まあ、二人が万年ラブラブなカップルと言うことは周知の事実なので、休みごとにどちらかの部屋で共に過ごすのはよくあることだ。
 交代で入浴を済ませ、いざ…とは今日は行かないようだ。
 佳主馬にとって非常に残念なことに、今週は健二が女性として月に一度必ず受ける試練の期間であるために自重せざるを得ないのだった。
 健全な青少年ではあるが、既にお付き合いを始めて数年。
 佳主馬だとて、もう常にガッついているわけではない。健二と付き合ってきた年数が、自信と落ち着きを与えてくれた。
 とはいえ、年上の彼女が好きでたまらないことには変わりは無いのだが。

 そんな佳主馬は、風呂上りにどうぞと健二が出してくれたコーラを飲みながら雑誌の数字パズルを楽しんでいる恋人の隣に腰を据えている。
「健二さん、楽しい?」
 ナンクロとかいう、9×9のマスに書き込まれた1桁の数字が被らないように埋めていくパズルを、全く迷いの無い様子でサラサラと解いていく健二の手元を見つめながら、佳主馬が問いかける。
 難解な数式と違い、深く考えなくても解けるレベルのため健二は鼻歌交じりに「うん、結構楽しい」と普通に応える。
 意識の全てをつぎ込むには、簡単すぎるらしい。
 まあ、傍に居るのにそんな問題を解き始められるのも、佳主馬としては避けたいことではある。
 もう少し構って欲しいと思わなくも無いが、上機嫌な健二を見るのは佳主馬にとっても純粋に楽しく嬉しいことだ。
 何より現在、健二はナンクロを解きながら意図的に甘えるように佳主馬の肩に頭を凭れさせているので、それでも十分幸せだったりする。
 健二に掛かれば、佳主馬の機嫌を良くすることなんてチョロい。
 本人が全くの無自覚で、微塵たりとも気付いてないという但し書きも入るが。
 時々、その真逆のことをしでかしたりもするが……。まあ、今回は佳主馬が嬉しいらしいのでよしとするべきだろう。
 ゆるく波打つ健二の長い髪に指を絡ませ、柔らかい感触を楽しみながら佳主馬は「ふむ」と思案する。
 健二がこんなに楽しそうなのだから、今それを中断させるのも忍びない。
 もう少しの間このままにしておこうと思うのだが、そうなると佳主馬が少し寂しい。
 今日はのんびりまったり過ごそうと思っていたし、持ち込んだノートPCを使う気にもなれない。
 どうしようか、という思案はすぐに解消される。
 暇つぶしの方法を見つけたとしても、恋人の傍から離れるつもりは毛頭ないしもう少しくっついている温もりを堪能したい。
 ならば、このまま健二の邪魔にならないように抱き込んでしまっていても問題はないだろうと結論付け、佳主馬は「ちょっと失礼」と言って隣に座る健二の体をひょいと抱え上げて膝に乗せることにした。
「……佳主馬くん、重くない?」
 手にしたパズルから目を離さないまま、嫌がるでも動揺するでも照れるでもなく、健二がごく普通に問いかける。
 恋人になる前から数えると、もうかなりの期間になる付き合いに健二は色々と慣れてしまっていた。
 出会った当初など、健二のほうが弟に対するみたいな親近感を持っていたせいでやたらとスキンシップを取りたがったし、恋人同士になってからは佳主馬が自重せずにべたべたするものだから、照れる慌てるという行動は二人きりでいる場合は余り無い。
 ああ、またか。程度で健二も好きにさせている状態である。
 流石に人前でそういう行動を取られると恥ずかしいしTPOを考えろと叱りもするが、健二の親友である佐久間に「健二だって、無意識の時は人前だろうがこっ恥ずかしいくっつきかたをキングにしてんぞ」とツッコまれたりしている。
 故に、突然体を抱え上げられてお膝抱っこと言う非常に「このバカップルめ」と罵られても仕方ない行動にも、健二は己の体が重くないかと佳主馬を心配する言葉しか出ないのであった。
「全然。そこらの野郎とは鍛え方が違うよ。むしろもっと肉をつけなよ、この体重と体力で夏越せると思ってるの?」
「えー…」
 実家でずっと一人で味気ないご飯を食べていた昔と違い、今は年下の恋人が出来るだけ時間を作ってくれて一緒に食事をしてくれる。
 佐久間は勿論のこと、ゼミの仲間たちも「小磯女史」と親しんでくれて時間が合えば皆で学食に行ったり食事会になったりもする。
 勿論上田に行けば、陣内家の人々が健二を一人になんかさせるはずなく。
 健二は男と偽って夏希の手伝いをした高校の頃に比べると、随分女性らしい体のラインを手に入れたのだ。
 身長は男装を頼まれるだけあって高2の時に170センチに達していた。
 その後、さっぱり伸びずに少し他より背の高い女性という立場に落ち着いている。
 恋人である佳主馬が、陣内の男性陣と同じく成長期を迎えた後メキメキと身長を伸ばしたため、彼が隣に並ぶと健二は体型も相まって細く小柄に見える。
 もともと骨格自体が細めなのだろう、顔は小さく、肩も華奢。手脚もほっそりしていて、腰などは世の女性が羨むくらいくびれている。
 そして何より、ここ1〜2年で胸が随分女性らしいまろやかなラインを主張するようになった。
 佳主馬は正しく健二のことを愛しているので、正直言って太ろうが痩せようが、胸が育とうが絶望的な絶壁だろうが、極端な話性別すら男だろうが女だろうがどちらでも構わないと思っている。
 健二が健二である限り、どんな姿であろうと愛し抜けるという変な自信を持っている佳主馬は、彼女がどんな格好をしても可愛く思えるのだ。
 そんな可愛い年上の恋人を膝に乗せて、佳主馬はその温もりと幸せを存分に満喫することにしたのだった。

「……ねえ、佳主馬君」
 佳主馬が健二を膝に乗せた後、しばらく二人の間に沈黙が流れたのだが、パズルを解いていた健二が気になってしょうがないとばかりにその沈黙を破った。
「なに?」
 どうかした? としゃあしゃあと問う佳主馬に、健二は困惑した表情で首をひねって己を抱える人物を見る。
「どうして……触ってるの?」
 はっきりと言いにくくて言葉を濁したのは健二だったが、佳主馬は彼女が言いたいことをわざと取り違える。
「そこに健二さんがいるから」
 大好きだから触りたいのは、当たり前でしょう? といわんばかりの堂々とした態度に、健二はますます困惑した顔になる。
「いや、違くて……触るのは、別にいつものことだけど…。何で、胸、なの?」
 膝に抱えられるのは余り気にしないくせに、こういう単語を口にすることは恥ずかしがる健二を心底可愛いと思いながら、佳主馬はうっそりとした笑みを浮かべる。
「だって、パズル解いてる健二さんの腕を触ったら、邪魔になるでしょ? それに、足とか太腿とか触ると、パズルどころじゃなくなるんじゃない?」
 その言葉に健二は言葉を詰まらせる。
 確かに、腕を触られるとペンを動かしづらくなるから健二は嫌がるだろうし、脚を触られるのは年下の恋人のせいで敏感に開発された体がのっぴきならない状況へと引き込んでしまう。
「だからって、なんで選択肢がそこに行くの?」
 胸も、脚と同じく佳主馬に開発されてしまった部位ではあるが、今の触り方は純粋に柔らかさを確かめ楽しむための……言ってしまえば色気の「い」の字も無いものだ。
 佳主馬がその気になれば、あっという間に翻弄されてしまうことを知っている健二はそれを危惧しつつもツッコミを入れる。
 その考えを知ってか知らずか、佳主馬はしれっと触る手を止めないまま言葉を紡ぎ始めた。

「先日さ、同じ学科の奴が顔にでっかい紅葉作ってきたんだよ」
 突然の話題転換に、健二は目を丸くして首を傾げる。
 顔に紅葉……間違っていなければ、ビンタされたときに赤くはれ上がるアレである。
「痛そうだね…」
「凄い脹れてたからね。で、どうしたのかって聞けば彼女にひっぱたかれたって」
 彼氏が彼女に引っ叩かれる理由が凄く気になるのは人情だろう、普段は他人に余り興味が無い佳主馬もそこは気になったらしい。
「で、理由を聞いたら。そいつが、冗談で彼女の腹を触って『やわらかーい』って言っちゃったんだって。それで思いっきりビンタだれたらしい」
「………うわぁ」
 彼氏には悪いが、自業自得だろう。女性と言う自覚の薄い健二ですら、彼女に共感を覚える。
 そんなことを佳主馬にされたら泣いてビンタするかもしれない。
「で、彼女曰く『乳は別に構わんが、腹を触ったら殺す!』って」
「……」
 その女性の主張は、女性と言う自覚の薄い以下略。
「ビンタは別に構わないけど、健二さんが嫌なことはしたくないしさ。お腹触るくらいなら胸のほうがいいかなって」
 だから胸を触ってる、と堂々と答える佳主馬に健二は返す言葉が見つからず押し黙る。
 確かに「胸柔らかいね」と言われるのは恥ずかしいだけだが「お腹柔らかいね」と言われるのは屈辱感が混じる。
 なんだか果てしなく間違ってる気がしなくも無い二者択一だが、弁の立つ佳主馬に良く丸め込まれてしまう健二は数学バカなだけあってそこに気付かない。
「うーん……、確かにお腹よりは…」
 案の定な健二の言葉に、佳主馬は真後ろで彼女から見えないのを言いことにニヤァっと笑う。
 言質をとってしまえば「お腹よりはいいでしょ」と言っていつでも触り放題だ、とでも思っているのだろう。エロ大学生め。

 そして、まんまと言質をとった佳主馬に二人きりの時は気付いたら胸を触られたり揉まれたりした健二の胸が、急成長と言ってもいいほどのサイズアップを果たし数理ゼミのメンバーが心配するという事態に陥ったのは、また別の話である。

佳主馬の「健二さんの乳育成ゲーム」の真相www
このお話をチャット会でした時、参加してらした方々が全員「あ、それは仕方ない」とか「それはしょうがないね、佳主馬も乳触るしかないわ」と、心からの同意を得られました(笑)
乳は触っても気にしないけど、腹は大変気になります。
そんな乙女心を利用した佳主馬を狡いと言えばいいのか、気遣いやさんと言えばいいのか。
色々判断にこまりますねw