勝利の女神と最強の戦士1

 日本有数の広告代理店から2009年、一人のモデルがデビューした。
 本名、国籍、年齢。一切の情報を明かさず、その広告代理店以外の仕事は受けず、ポスターとCM以外の露出はまったくない。
 情報社会において、ここまで見事に素性を隠し続けているモデルの通り名はニケ。
 勝利の女神と同じ名を持つ彼女は、その名に恥じぬ戦果をあげている。
 数こそ少ないが、彼女の出演するCMは例外なくすべて高い評価を得ており、番付けトップを逃したことはない。
 そんな彼女を引き抜こうと、様々なプロダクションが接触をはかったが、成功したものはなく。
 唯一、広告代理店宛てにだされたFAXでの取材のみを受け付ける、という規格破りのモデルとして、半ば伝説となっている。
 ニケという謎に包まれたモデルの素顔を、知るものは誰一人いない。

「……だってさ」
 情報誌に書かれた文章を朗読した男子校生が、ニヤニヤと笑いながら隣のデスクに座る友人を見る。
「……うるさいよ、佐久間。ボクが書いたワケじゃない」
 声をかけられたのは男子校生……に見えるが制服からするとれっきとした女子のようだ。
 彼女は不機嫌を隠そうともせず、目の前のモニタに集中している。
「しかし、昨今のメイク技術はスゴいよな。お前と付き合いの長い俺でも、目の当たりにするまで信じられんかった」
 パソコンモニタから目を離そうとしない、不機嫌な彼女の名は小磯健二。
 およそ女性らしくない名ではあるが何隠そう彼女こそ、世間の関心を集めているモデル「ニケ」本人であった。
「ボクだって、好きでやってるんじゃないよ。母さんの命令じゃなきゃ、誰があんなことやるもんか」
「まぁなぁ。健二は、根っからの地味人間だからなぁ。広告代理店に勤める母を持った不幸だな」
 佐久間はそう言って、手にしていた雑誌を閉じると、自分もパソコンに向かう。
「で、健二は何見てんのさ」
 先ほどから、会話は成立してるものの健二と呼ばれる女性は、一度もモニタから視線を外していない。
「OMCのキングカズマタイムアタックシリーズ」
「あぁ、昨日発売されたアレね。俺も見たわー、さすがキング。カッコいいよなー」
 OZを利用する者なら、知らない人間の方が少ない有名なアバター、キングカズマ。
 数多のスポンサーを擁する、OMC世界チャンピオンは、佐久間と健二にとってヒーロー的存在である。
 人は己の持たざるものを手にする存在に強い憧れを抱く。
 二人にとって、キングカズマがまさにその対象であった。
「ニケなら、キングカズマとの共演も夢じゃないんでないの?世界的とは行かないまでも、ニケはそれなりの知名度がある存在である。
 生身とアバターのギャップもCG合成技術を駆使すれば、なんの問題もない。
 実際、ニケのプロモーション映像はスタジオ撮影のみで背景などは、すべて佐久間の編集したCGである。
「無理。前に一度母さんの部署がオファーかけたことあるんだけど、にべもなくあっさり断られたってさ」
「ガチで?あーぁ、残念。キングカズマのプロモーション作ってみたいよなー。今作ってるOZのプロモなんかよりも」
 佐久間はそう言って、作成中のムービークリップを開いて編集作業を始めた。
 久遠寺高校物理部に在籍している二人は、先輩の紹介でOZの保守管理スタッフをしている。
 つい最近始めたばかりではあるが、先輩の口利きで佐久間がグラフィックデザインに長けていると聞いた上司が、力試しにとOZプロモーションコンペティションに出てみろと勧めてきた。
 締め切りまでもう少しあるし、大筋は決めているので佐久間はほぼ片手間でやったりしている。
「そういや、お前春休みは強化合宿だっけ?」
 佐久間の問いに、動画を見終えた健二がやっと顔をあげて頷いた。
「そう、数学オリンピック日本代表選抜の最終選考で一週間」
 健二は高校に進学した年の秋、数学オリンピックの日本予選に応募して、冬の本選で見事AAクラスに入った。
 数週間後の春休みには、世界大会に出場する代表の座、AAAクラス入りを目指して強化合宿に参加することになっている。
「そっか、頑張れよ。応援しといてやるから」
「ん。……そろそろ過去問やるかな」
 そう呟いて、健二は鞄から参考書を取り出した。
 二人しかいない物理部室で、ひとりは参考書を開いて、もうひとりはパソコンに向かって。
 約半年後に、とんでもない事件に巻き込まれるなんて予想もしていなかった、高校一年の早春だった。

死ぬほどタイトルつけるの苦手です、一応仮題つうことで。