2010年8月1日。
栄の誕生会兼葬式を終えた陣内家は大変にぎやかである。
夕飯を終えて、後片付けたりそのまま飲み会になだれ込んだり、花札に興じたりと様々である。
各地から親族が集まる陣内本家は、時間短縮のため基本的に風呂は客を除いて数人まとめて入ることになっている。
「夏希、子供たちお風呂に入れちゃって」
万里子の言葉に「はーい」と返事をした夏希は、子供たちにまとわりつかれている健二にも声をかけた。
「健二くんも一緒に入ろ」
その発言に健二と篠原家の人間以外全員がどよめく。
「ちょっと夏希!あんた何言ってんの!?」
「大胆すぎないか?」
「許さねえぞ!」
そのあまりのどよめきに、健二と夏希はキョトンとしたあとハタと顔を見合わせる。
代表して夏希が、躊躇いがちに挙手して発言した。
「あのー。もしかして、皆気づいてないの?」
「気づいてないってなにが?」
凄い剣幕の直美にたじたじになりながら、夏希は言葉を続ける。
「健二くん、女の子なんだけど……。住民基本データ、みたのよね?」
だからとっくに知ってるものと思っていたんだけど、という発言にどよめいていた室内がしばし静まり返る。
…………
………
……
…
「「「「「ええぇぇぇぇっ!?」」」」」
先ほどのどよめきよりも、数倍大きい叫び声に、健二と夏希は思わず耳をふさいだのだった。
「さすがに、驚いたわ」
理香の言葉に、全員が一様に頷く。
驚かなかったのは、ちょくちょく健二を遊びに来させたり、泊まらせたりしていた夏希の両親だけである。
健二と言う名前といい、短く刈った髪型といい、体型といい。
健二には女性を彷彿とさせるものがいまいちない。
名前は、親が男の名しか考えていなかったらしいし、服装もシンプルなものを好んでいるようで、可愛らしさに欠ける。
声も若干低めで、言われてみれば女声だな、と納得する程度だ。
ただ、健二の浮かべる嬉しそうで柔らかい微笑みは、なるほど女性的であると言えた。
「あら、でも健二くん結構あるのよ?着痩せするだけで」
夏希の爆弾発言に全員の視線が一斉に健二に向かう。
「ちょ、夏希先輩!?」
急に水を向けられて焦る健二の背後から直美の手が生える。
「どーれどれ?」
わし、と効果音がつきそうなほどの勢いで直美が健二の胸を見聞するように揉みしだく。
「○※×◇#@§△▽★¢∞〜〜!?」
余りのことに、人間語の出てこない健二を省みることなく、直美の手は傍若無人に揉みまくる。
「あらやだ、あんたこんなもんで潰してたら、形崩れちゃうわよ!?うーん、これじゃいまいち判んないわね」
「そうなの!健二くんいつもペッタンコに潰してるのよ!何とか言ってあげて!あたしの見立てだと、65のCはかたいと思うのよね」
更なる爆弾発言に女性陣が俄然色めき立つ。
アルコールの回った男性陣も、ほほうと再び健二の胸に注目する。
子供たちは訳も分からずはしゃいで回り、唯一年若い男性陣……翔太、了平、佳主馬だけが気まずそうな微妙な顔をしている。
「これじゃ判んないわ。夏希、ちょっといらっしゃい!健二くんも、行くわよ!了平、チビ達のお風呂はあんたが面倒見てやんな!」
やっぱり酒が回ってる直美のあとを、面白い玩具を見つけたとばかりに楽しそうに女性陣がついていくのを、残された男性陣は呆然と見送ったのだった。
「ねえ、佳主馬くん……」
飲み物を貰おうと台所を目指して歩く佳主馬の背後から、おずおずと声が掛けられる。
聞き違えようのないその声の主は、ここ数日佳主馬が避けている健二である。
佳主馬はピクリと微かに肩を強ばらせて、不自然にならないよう振り返る。
「なに?」
視線を向けた相手は、緊急のためか表情がかたく、申し訳なさそうに体を縮こまらせている。
「ちょっと、いいかな?」
「……うん」
佳主馬は、健二が呼び止めて来た理由の予想がついていた。
健二が本当は女性であると知ってから、気まずくて避けていることについてだろう。
優しい彼女は、自分がなにか不味いことをしたんじゃないかと、心配でたまらないのだろう、と。
「あの、ボク。何か不味いことした……かな?したのなら、佳主馬くんに謝らなきゃ、と思って……」
案の定、相手に落ち度があるなんて考えもしないのだろう、善良な健二に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ち、がうよ。おに……、お姉さんのせいじゃない。お姉さんのこと、ずっとお兄さんだと思ってたから。本当は女の人って聞いて、どう接したらいいか判らなくて……」
男女まとめて一緒くたにされていた小学校とは違い、中学に上がると何かと男女別に分けられる。
第二次性徴期に差し掛かる微妙な時期なため、当人たちも男女間の差異を目の当たりにして、色々思うことの増える時期である。
いわゆる、思春期に差し掛かっている佳主馬は、兄のように慕えそうな存在が出来たと思った矢先に、兄ではなく姉ですと知り裏切られたような気持ちになったのと同時に、親戚以外の異性とここ数日間至近距離で過ごしていたことに色々気まずかったのだ。
「僕の方こそ、おに…お姉さんに何か不味いことをしたのかも、って気まずくて……ごめん、なさい」
もごもごと言いにくそうに呟いた言葉は、それでもちゃんと健二の耳に届いたようで。
不安そうな表情が、ふわりと和む。
「良かった……。ごめんね、色々と気を使わせて。お姉さん、て呼びにくいでしょ?名前で呼んでくれていいよ」
真悟くんたちもそう読んでる詩、と言われても佳主馬は四歳年上の人を呼び捨てに出来るはずもなく。
――夏希姉ちゃんみたいに健二姉ちゃん?……それじゃ本末転倒だ。呼び捨ては無理。と言うことなら……。
しばしグルグル考えていた佳主馬は、それじゃあ……と呼び方候補を口にする。
「健二、さん?」
女性を彷彿とさせる呼び方が気まずいから、という苦し紛れの呼び方は不思議と佳主馬の中でしっくりと馴染んで。
その日から、佳主馬は「健二さん」と呼ぶようになった。
まだ恋愛未満の二人。これから少しずつ意識していくのかな。