2011年4月。
所謂クラス替えのシーズンである。
受験生になる健二は進学組の理系クラスに振り分けられた。
同じく理系の大学に進学志望している佐久間も、例外はなかった。
初日は男女問わず出席番号順で座るので、健二と佐久間は前後に並んだ席順である。
いつもどおり「相変わらずな席順だなあ」などと二人で駄弁って過ごすはずなのだが、今回は少々勝手が違う。
「小磯は志望大学、どこにしてる?」
「小磯、受験対策の講習はどこに行く予定?」
去年までは、同じクラスになろうが隣の席になろうが見向きもされなかった健二が、妙に周囲から声をかけられるようになった。
それもこれも、恋を自覚した健二が羽化する蝶のように美しく変貌しつつあるためである。
彼女を狙うクラスメイトは、少しでも会話を弾ませようと躍起になり、常に一緒にいる佐久間を邪魔そうに扱った。
佐久間はやれやれと肩を竦めつつも、助け舟を出す様子はない。
あまりに強引な場合は、間に入るつもりではあるがその必要は現時点では皆無であった。
なぜならば。
「大学?一応国立狙いだけど……。入試免除受けられる大学がいくつかあるから、私立も視野に入れてるけどね」
去年は惜しくも代表を逃したが、今回健二は代表選考で好成績を収めて見事数学オリンピックの日本代表という地位を手に入れた。
数学オリンピック開催は7月であるが、現時点で健二は最高位のAAAランク保持者なのである。
その肩書きは伊達じゃない。
私立、公立を含めたいくつかの学部に特別推薦を受けることができるのだ。
その推薦枠は、実はAAランクとなった去年から受ける資格を得ているのだが、それを含めても健二は受験レースでスタート前からすでに三馬身ほど先に出ていることになる。
「講習は、数学オリンピックが終わってからじゃないと、落ち着いて受けられないから…。夏期講習に参加するくらいかな?期間が短めだから、それ以外は夏希先輩が勉強を教えてくれることになってるよ」
恐るべきは、健二のガーディアンを自負する夏希である。
卒業するまでは、部活を引退し身軽になったからと言って、健二のいる物理部室に入り浸っては数学を教わるやら買い物に行くやらで連れまわし、健二に近づこうとする輩をけん制し続けた。
その防御力は卒業してもなお、有効であった。
まあ、大半は健二自身の鈍ちんスルーを前に、撃沈玉砕しているのだが…知らぬは本人ばかりである。
そのおかげと言ってかどうか、幽霊部員ばかりの物理部も健二たちの卒業後に部が存続できる申し訳程度の部員が入ってきた。
幾人かは動機が不純そうな入部希望者もいたのだが、そこはそれ。
佐久間が厳正なる人選……つまり篩いにかけて生き残った生粋のPC好きやら理数に強い興味を持っているオタク……いや、研究熱心な生徒を迎え入れたので大きな問題はなかった。
物理部室は少々手狭になるため、顧問に許可をもらって授業に使う情報室を新入部員たちは使うことになったため、物理部室はいつもどおり健二と佐久間の城のままである。
同じ部屋で活動していないのならば、同じ部だと言えないのではないかとの声もあったが、合同活動するときは広い情報室に健二らが移動したし、基本的にOZの物理部コミュニティ内で常にオンラインでのやり取りができるから大きな問題はなかった。
佐久間と健二はOZ保守点検のバイトをやっているし、特にニケの映像編集をやったりもするため、今までと変わらぬ居城を確保できたのはこの上ない幸運であった。
「なあ、健二。おばさんは、俺らが受験生だってのちゃんと知ってるよなぁ……」
健二の母から送られてきたPv納期表を見ながら、佐久間は乾いた笑いを漏らす。
健二はそんな幼馴染から微妙に視線をずらしながら「まあね…」としか答えられない。
『本格的な受験に入る前に、目いっぱいスケジュール組んじゃうからね。あんたはこれ終わらないと、数学オリンピック行かせないわよ』
つい先週、珍しく早く帰宅した母親のセリフが鮮明に蘇って健二は遠くを見つめる。
進学できなかったらそのままうちに就職しちゃいなさい、と豪語する母親である。
一応、全うに進学して好きな数学を思い切り勉強したい健二は、なんとしてでも母の無理難題をクリアして数学オリンピック本選に行かなければならない。
「あははは……。頑張ってよ、佐久間。僕も手伝うから」
力ない励ましに、佐久間は肩を落として「おばさん、相変わらずつえぇ…」と漏らした。
しかし、仕事の鬼である健二の母もさすがに人の親だったらしく。
ゴールデンウィーク進行という魔のスケジュールを乗り切った二人に「これから3月まで、ニケは休業ね」とねぎらいの言葉をくれたのだった。
そういうわけで、健二と佐久間は無事に人並みの全うな受験生という立場に収まることができたのである。
2011年8月。
数学オリンピック本選から帰国した健二は、夏希に誘われるまま上田の陣内家にやってきた。
なぜか佐久間も一緒である。
夏希曰く、佐久間も皆の中ではすでに家族同然だから当たり前のこと。らしい。
去年、盛大に壊れてしまった陣内家は方々からの援助をもらえたとかで、たった一年のうちで綺麗に修理された。
健二が始めてみたとき、思わず立ち尽くして見上げた巨大な門を、今回は佐久間がポカンと見上げる。
「え、なにこれ」
「あはは。佐久間君ってば、健二くんと同じこと言ってる〜」
夏希の笑い声を聞きながら、健二は佐久間の驚きっぷりに痛いほど共感を覚える。
「こんなの、序の口だよ……」
家屋もすごいんだから、と佐久間を脅すことで溜飲を下げながら先を行く夏希を追いかける。
玄関では、いつものように万里子が出迎えてくれたのだが、健二たちの到着を知った子供たちもわらわらと集まってきた。
「あ、健二来た!」
「健二ねえだー!」
「あれ、こっちの人はー?」
集まった子供たちは、思ったことをポンポンと口にだす。
「この人は佐久間君。去年、東京からずっと手伝ってくれた人だよ」
夏希の説明に、うろ覚えだがちゃんと記憶に残っていたらしい真緒が「あ!」と言う。
「あの、眼鏡のかくかくしたサルのひと!」
子供にはドット絵と言う単語は難しい。
かくかくしたサルというのは、とても斬新なたとえだと苦笑しながら、佐久間はへらりと相互を崩して挨拶をする。
「ほい、佐久間ですよー。今回はお世話になります、よろしくなちびっこたち」
フレンドリーな態度と、健二たちの佐久間に対する気安さから子供たちは佐久間をあっさりと受け入れた。
もちろん、大人たちも。
中でも特筆すべきなのは、あの気難しい佳主馬が進んで佐久間と話したことだった。
中学生ながら、いくつかのゲームを作成し特許を持っている佳主馬は、同じくプログラミングに関してかなりの知識を有する佐久間に親近感と尊敬の念を持った。
PCやOZに詳しい佐久間と健二は、佳主馬と一緒に納戸に篭っては交流を深めていった。
もちろん、ちびっ子たちに見つかってあちらこちらへと引っ張りまわされることが多かったのだが。
それから年明けまで、ニケとしての活動を休止してOZでの保守点検バイトも、年末の上田訪問もすべてゼロにして受験勉強に明け暮れた。
その甲斐あってか、健二も佐久間も無事志望校への入学切符を手に入れたのだった。
そして、2012年。
今度は、佳主馬が高校進学を控えて受験生となるのであった。
恋の自覚。というか健二さん晩生すぎる。