中学校に入学した春。
一生の相棒とも言える存在と出会った。
「……おじさん、何してるの?」
学校帰りにいつも通る道。
いつもは締まっている民家のガレージが開いていて、ふと覗いたのは恐らく運命に近かったのだと思う。
「おう、ボウズ。気になるのか? こっち来て見るか?」
ツナギ姿の、機械油まみれになった軍手で手招きした男が、佳主馬にとって大事な出会いをもたらしてくれた。
その日から、そのガレージは佳主馬にとっての思い出深い場所になったのだった。
そして、その数ヵ月後にも。
佳主馬は、人生を覆すような出来事を体験する。
まさにその年は、佳主馬にとって激動と波乱万丈の一年だったと言える。
その年に出会ったものは、憧れから掛け替えのないものへと自分の中でゆっくりと育って変化していくことを、佳主馬はまだ知らなかった。
――それは、長い間ずっと抱き続けていた憧れ――
キュルルルル……ドルンッ
セルを回してエンジンを点火すると、重低音とその振動がシートを通して佳主馬の体に伝わってくる。
エンジンが暖まるのを待つ間、しばらくその振動と音を楽しみながらいつも通りの駆動音であることを確認する。
ヘルメットをかぶり、汗でグリップを持つ手が滑らないようにグローブをはめて、暖まってきたエンジンを軽く吹かす。
今日も愛馬の調子は上々のようだ。
「よし、それじゃ行こうか。相棒」
満足げな笑みをヘルメットの中に隠して、佳主馬はタンクカウルをポンと軽く叩いてグリップを握る。
クラッチをつなぎながらアクセルをふかすと、滑る様に発進する。
スムーズにシフトアップして、先にある角を曲がり大通りへと消えて行った。
――そして、これから長い時を共に過ごす――
中学校も案外つまらない。
入学したばかりの佳主馬はそんな風に厭世的な感想を抱いて毎日学校に通っていた。
毎日つまらないことの繰り返しで、うんざりする。
小学校の時のようなあからさまないじめは今のところないが、佳主馬の無愛想で無口な反応は同年代の者には少々異質らしく腫れ物に触れるような態度をとられる。
うるさく構われるのは正直勘弁してもらいたいが、遠巻きにこちらを見ながらヒソヒソと囁き合うのはいかがなものだろうか。
そんなことすらどうでも良くなってきた佳主馬は、親しい友人を作ることもなく、ただ惰性で毎日学校と家を行き来するだけだった。
別に友達なんか欲しくない、と佳主馬は思っていた。
OZでキングの名を頂く佳主馬には、ほかにやるべき事がある。
契約しているゲーム会社への納期も迫っているので、余計な事に煩わされたくないと思っていた。
その日も、佳主馬は一人で下校していた。
偶然だったのだ、その物音に気づいたのも。
いつもしまっている民家のガレージが開いているのに気づいたのも、そこで何やら作業している人間がいて不思議と興味がそそられたことも。
――つまらないモノクロの日常に、そこだけ色がついた――
「健二さん、フレンド登録しよう」
騒動が終って、栄の葬式兼誕生会が終った後。
佳主馬の根城である納戸で奪われて破壊されてしまったアバターの再設定をするために、ノートPCを借りて操作している健二に言えば、目をまん丸にして凝視された。
「……なに、嫌なの?」
ちょっとムッとた様子の佳主馬の言葉に、健二は勢い良く両手と首を振ってそれを否定する。
「と、とととんでもない! 嬉しいけど、いいの? 僕なんかで」
健二にとってキング・カズマはずっと憧れ続けていた雲の上の存在である。
OMCに興味がある者ならば、誰もが少なからず憧れを抱いていると言っても過言ではない。
そんなキング・カズマの中の人にフレンド申請をされるなんて、恐れ多いことだと健二が思ってもおかしくはないだろう。
しかし、佳主馬は健二の発した「僕なんか」という部分に眉根を寄せた。
自分が凄いと思って尊敬している相手には、言って欲しくない言葉である。
「他の誰でもない、健二さんだから言ってるんだよ。数学とか教えてよ、換わりに僕がOMCの動き方とかコツを教えてあげるから」
いいでしょ? と言われてそれに押されるように健二が頷く。
頷いた後で実感が沸いたのだろう、少し間を置いて健二がへにょりと喜び全開のいつもの笑顔になる。
「ありがとう、佳主馬君。OZでもよろしくね」
その喜ぶ顔が見たかった佳主馬も、彼ならではの笑みを浮かべて頷く。
――貴方の微笑みが見たい。今も、昔もただそれだけ――
「前のアバターと同じ姿にはしなかったんだ」
何気なく呟いたのだが、健二は困ったように眉を下げて微かに苦笑する。
「あぁ、うん。前の奴も愛着があるんだけど……、ラブマシーンが乗っ取って好き勝手に悪いことをしてたのをいろんな人が見たからね。悪印象強すぎるからやめておけって、佐久間に言われたんだ」
確かにそうだな、と佳主馬も納得する。
人相が変わっていたとはいえ、同じディテールのアバターをOZで見かけたら佳主馬でも一瞬身構えてしまうだろう。
そういう意味では、佐久間の判断は非常に正しい。
しかし、そうだねと頷くには健二の浮かべた寂しげな表情がそれを許してくれない。
佳主馬が気遣わしげな雰囲気になったのを察したのだろうか、健二はその表情を慌てたように笑顔に変えて大丈夫だよ、と笑った。
「ちょっと寂しいけど、しょうがないからね。それに、微妙すぎる不細工なリスも、一緒に最後まで戦い抜いたからか、妙に可愛く思えてくるから不思議だよね。ただ、OMCにはちょっと向かないかもだけど」
寂しく思っているのは自分のくせして、他人を気遣ってなんでもない風に笑う健二に、佳主馬は少しだけやるせなさを感じる。
自分がもっと大人で頼りがいがあったのならば、彼は弱い部分を見せてくれるのだろうか。
そんなことを思いながら、たった数日間で心の深い場所まで入り込んでしまった相手にあわせて「確かに、走るより転がる方が早いかも」と軽口を言って笑った。
――早く大きく、大人になりたい。
僕は、何故まだこんな子供なのだろう。
そんなことを強く思ったあの日。
その思いは、いつも僕の中にありあの人への想いを抑えるように締め付けていた――
2009-12-28 コミックマーケット77 頒布予定