講義を終えて帰宅した佳主馬は、いつものようにバイクをガレージに入れ、部屋に向かう。
次の休みにはオイル交換をしよう、なんて思いながら階段を上り郵便受けを確かめる。
OZが普及して、コミュニケーションがネットワーク上で事足りる時代になったとは言え、郵便物のやりとりはどうあっても必要だ。
OZで買い物は出来ても買った品や親戚から送られてくる荷物を運ぶのは、人の手である。
スポンサーから送られてくる荷物などもあるため、佳主馬のもとには比較的頻繁に郵便物が届いたりする。
今日も、ダイレクトメールの他にキング・カズマのスポンサーをしている旅行会社からメール便が来ていた。
「……あぁ、これか」
そういえばそんな時期だったなと思いながら、郵便物を手に自室に入る。
今日、健二は少し帰りが遅くなると言っていたので、隣の部屋には今は行かない。
帰宅が早い方が、食事を作って待つ。
いつの間にかそんな習慣が二人の間にできたのは、間違いなく栄の遺言の影響だ。
あの夏の日は、今も陣内家に連なる者の心に息づいている。
「まず、こっちからだな」
荷物を置いた佳主馬は、スポンサーからのメール便を手にして携帯を操作し始めた。
電話帳を呼び出してコールするのは、彼にとって師であり祖父でも有る人物。
数回のコール音のあと、回線が開かれる独特の電子音が聞こえて万助の声が響く。
『おう! 佳主馬か!』
昨年に喜寿を迎えたとは思えないほど元気な声に、佳主馬は相変わらずだなと笑みを浮かべる。
「もしもし、師匠?」
クールな外見に見合わず家族や親戚を大事にしている佳主馬は、外では滅多に見せない打ち解けた表情で軽い挨拶を述べて、少しの間孫からの電話を喜ぶ祖父と近況を語り合った後、メインの用件を切り出したのだった。
――疲れている貴方を、癒してあげたい――
「温泉いこうか? 伊豆あたりに」
唐突な言葉に、ぐったりしていた健二は思わず顔を上げ目をまん丸にして、悪戯を思いついたような笑みを浮かべる佳主馬を見つめた。
――今まで、旅行とか温泉にはあんまり興味はなかったけど――
「今回誰も都合つかないんだ」
ため息混じりに漏らしたら。
「あら、何言ってるのよ。健二君と行きなさいよ」
目から鱗が落ちるような、母の言葉。
そういえば、アパートの隣室同士でほぼ同居同然の共同生活をしているが、二人で上田に行く以外の旅行をしたことがなかった。
そう思った瞬間から、佳主馬は健二と二人で温泉旅行に行く気満々だった。
――貴方となら、きっと楽しいし嬉しい――
常ならば、祖父の万助を初めとして陣内の親戚や両親に譲るのだが、今回は誰も都合がつかなかった。
「師匠は、漁業組合の慰安旅行。万里子おばさんたちは北海道で、母さんたちはユニバーサルスタジオジャパンだって」
もう、それは二人で行けと言っているようではないか。
――そして、恋人達は旅に出る――
「ほら、着いたよ。足元気をつけて」
停車してドアの開いた列車から降りる時、佳主馬がわざわざ健二の手を掴んで支えたのは「こうしないと、危なっかしいでしょ」というからかい半分で。
健二はそれに軽く拗ねて見せながら、自分もそうだが佳主馬も随分浮かれているなと思う。
「……ふふっ」
ちらほらと、平日ながら観光客らしい人が歩くホームを移動しながら、健二が小さく笑った。
「どうしたの?」
それを聞きとがめて、不思議そうに問う佳主馬に内緒、と笑顔のまま返して先を歩く。
旅先と言うのは、どうしてこんなに開放的になれるのだろうか。
今なら、佳主馬と手を繋いで歩くことも気にならないかもしれない、と思ったことなんて言えないなと健二は思う。
そんなことを思うなんて、随分自分は今回の旅行が嬉しくて浮かれているんだろうと、我ながら呆れた気分が浮かんでくる。
言ってしまえば「じゃあ、そうしよう」と、手を差し出してくるに違いないのだ。
―君も僕も、随分浮かれてる――
「タクシーを呼んでも良いけど、そんなに遠くないし歩こうか。この後は旅館にチェックインするだけだから、時間にも余裕があるしね」
現在の時刻は十五時半、電車は十六時になるまで無いため急ぐ必要はないし荷物も先ほど購入した、佳主馬の妹へのお土産だけなので歩くことに異議は無いと健二が頷く。
「一本道だったから、迷うこともないね」
「一本道で迷ったら、逆に健二さんを尊敬するよ」
そんな軽口を交わしながら、駅までの道のりを歩いたのだが。
日頃運動不足な健二は、あと少しと言うところでバテてしまい、佳主馬に荷物を持ってもらった上に手を引かれながら駅に辿り着いたのだった。
――君となら、どこに行ったって楽しいし幸せ――
入る前に注意書きでのちょっとした事件はあったが、二人は何事もなく露天風呂を堪能して浴衣に袖を通した。
「……佳主馬くんて、和服も似合うよね」
体格が良いので、サイズを合わせるのはなかなか大変だが、堂々とした立ち姿や姿勢の良さで旅館の単衣と変わらない簡素な浴衣でも十分魅力的だ。
格好良いよ、と微笑む健二に佳主馬は少し照れながら「ありがとう」と返して、見上げてくる恋人の唇に触れるだけのキスを落とす。
「佳主馬くん!」
「まだ、脱衣所だし。湯上りの健二さんが可愛い顔で見つめてくれるもんだから、つい」
悪びれない顔でサラッと言ってのける佳主馬に、そういう問題じゃないでしょうと返しても全然気にしてくれないので、健二は「もう、先に行くからね!」と言って肩を怒らせて脱衣所から出て行く。
怒っているようにも見えるが、湯上りだからという理由以外でも顔が赤いのを佳主馬は知っている。
――眠るのが勿体無いくらい――
「眠ったら明日になっちゃうから、勿体無くて眠れない感じ」
そういう健二を追うようにして、佳主馬も布団の中に潜り込んで恋人の体を抱きしめる。
「また来れば良いよ。次は草津とかでも、熱海や箱根でもいいし」
スポンサーから宿泊券が送られてこなくたって、健二さんが行きたいって思ったらいつでも一緒に行くよ。
――また、行きたいね。今度も、二人で――
2010-05-02 SUPER COMIC CITY 19 頒布予定