僕らの魔法使い。

「ハッキングやクラッキングの世界は日進月歩。完全で完璧なセキュリティなんかないんだ」
 あらわしの直撃を本当にギリギリで回避した後の事後処理に奔走している理一が、夕食を終えて縁側でビールを飲みながら隣に座った健二呟いた。
 お祭り騒ぎだった広間もすっかり片付けられて、今は女性陣は台所で後片付けを、子供達はまとめてお風呂、男性陣は昼間の屋敷の片付けや修理で疲れたのかいつもより静かだ。
 今日は早々に寝るか、なんて声も聞こえる。
 佳主馬もすぐに納戸に閉じこもろうと考えたのだが、ふと縁側で理一と健二が並んで座っているのが目に入って足を止めた。
 なんとなく、会話の内容が興味をそそったので無言で健二の隣に腰を下ろす。
 理一が、おや珍しいみたいな表情を向けたが相手にせず先ほどの会話について問う。
「完全なセキュリティがないのは今回ので実証済みじゃないか」
 世界最高峰といわれる超難関の暗号パスを解いた張本人が今まさに隣にいるのだ、何を今更と佳主馬が思うのも無理はない。
「いや、さすがに驚いたよ。まさかコンピュータも使わずに解けるとは思わなかった」
「い、いえ……たまたまです、ほんと」
 手放しの賛辞にひたすら恐縮しながら健二が背を丸める。
 どうにも自己評価が甚だしく低いのが難点である。
「まあ、佳主馬の言うとおりだけどね。高いセキュリティを作っては、ハッカーに解析されて。クラッカーがウィルスを作ればセキュリティ側はカウンターウィルスやワクチンを作って。ホント、堂々巡りだよ」
 キリがないね、と軽く笑って理一はグラスに残ったビールを呷る。
「それでも、OZのセキュリティは想定では後2〜3年は破られない筈だったんだよ。その頃には新しいセキュリティが完成しているはずだしね」
 そのしばらく破られないだろう暗号を解いてしまった健二を、佳主馬は改めて見る。
 最終的にはそのパスワードを暗算で解いてしまうなんて、人間離れしたことをやってのけた青年は、その時の真剣な表情や迫力の影は微塵もなくてただ恐縮して笑うだけである。
「そういえば、今OZのセキュリティってどうなってるの?」
 佳主馬がふと思い出して理一に問いかける。
 暗号パスを解いたのは健二以外にも世界で50人ほどいるはずだ。
 今までどおりの暗号パスだと、危険すぎるだろう。
「ああ、新しい暗号システムを導入したみたいだね。とは言え今は仮導入している段階で来年実装予定だった新しいセキュリティシステムを急ピッチで開発中だそうだよ」
 来月の頭には完成させるとか言ってたな、と一体どこからその情報を得て来るのか自衛隊の「ちょっと言えないトコ」勤務の理一に佳主馬が胡散臭そうな顔をする。
「た、大変そうですね……」
 健二はその途方もない話に、セキュリティ開発部門の人は大変だなあと今更ながら自分がしでかしたことの重大さを思い知る。
 とはいえ、最初の暗号は一文字間違っていたので健二のせいではないのだが。
「まあ、それが仕事だからね、彼らの。……と、そういえばネットワーク部門の知り合いから聞いたことがあるんだけどね。ハッキングやセキュリティの凄腕の人間をウィザード、つまり魔法使いって言うらしいよ」
 空になった瓶とグラスを隣に置いた盆に載せて、理一が言う。
「まるで魔法を使ってるみたいに、回線に入り込んで乗っ取ったり、あっという間にウィルスを無効化してしまうんだ」
 OZにもウィザードが何人かいるから大丈夫だと思うよ、と軽く笑って。
「健二君も、立派なウィザードだね」
 といった。
 その途方もない賛辞に健二は「ええええ!? そんなとんでもない!」と大慌てだが、佳主馬は理一の言葉にその通りだと思う。
「健二さん、いい加減認めたら? 僕からしたらあの数字だけの暗号を解くのって、魔法以外ありえないんだけど」
 もっと自信もちなよ。そうだそうだ。などと、両隣から囃されて健二は顔を真っ赤にしてパニック寸前だ。
 その時、天の助けっぽい声が縁側の三人にかかる。
「三人とも楽しそうね。お風呂空いたわよ」
 ちびっ子達のお風呂の面倒を見た夏希が湯上りの麦茶を片手にたっている。
「ん、健二さんが陣内家の魔法使いだって話だよ、夏希姉ちゃん」
「そうそう」
「ちょ、えぇぇ! ちがっ!」
 そのパニック具合が面白くなってきたのか、佳主馬と理一が目配せをしあって笑っているのにも健二はいっぱいいっぱいすぎて気付かない。
 天の助けだったはずの夏希も、ちょっと首を傾げて。
「うーん、そうね。魔法みたいにラブマシーンと戦ったものね、かっこよかった」
 憧れの夏希の爆弾発言に、恥ずかしいやら恐れ多いやらの健二は完熟トマトもはだしで逃げ出すほど顔を真っ赤にして、今にも気絶してしまいそうである。
 そんな様子に、理一と佳主馬と夏希の三人は堪えきれずに笑い出す。
「あははは! もう、健二くんったら、最高! さ、お風呂が冷めないうちに入っちゃってね」
 私はもう寝るね、お休み。と笑いながら夏希が空になったグラスとついでに理一の隣にあったお盆を持って台所に消えていく。
 それを皮切りに、縁側での座談会みたいなものはお開きになる。
「僕はちょっとやることあるから、健二さん先にお風呂はいっちゃいなよ」
 佳主馬はごゆっくりと残して納戸に消えていき、理一は万作達に「花札するから来い」と呼ばれて立ち上がる。
「陣内家の皆は、君の事魔法使いだと思ってるし身内だと思ってるからね」
 だから冬でも春でも夏でも、いつでも遠慮せずに遊びにおいでよ。
 そう言って、まだちょっとオロオロしてる健二の肩をぽんと叩いていく。

 縁側に残された健二は、しばらくの間赤いままの顔を伏せていたが台所から「次のお風呂はだーれー?」と急かされて慌てて「あ、はーい! 今入ります!」と立ち上がってぺたぺたと走っていった。
 陣内家の魔法使いは、普段はとても普通の青年なのにいざと言うときは誰よりも頼りになるのです。

墜落した日の夜、もしくはお葬式を終えて。
陣内家の皆はきっと健二をヒーローみたいに思ってるんだけど、やっぱり高校生だしね。
身内認識して可愛がるほうが大きいと嬉しい。
佳主馬は純粋に懐いてるといい。