幸せな日常、落ちる影

 手を繋いで歩くのが好きだ、と健二は思う。
 最初の頃は緊張して、それはそれはぎこちなく手を差し伸べて、顔なんか真っ赤になってみっともない全然スマートじゃないやり方だったけど。
 それでも夏希さんは嬉しそうに微笑んで、手を取ってくれた。
 今は、やっぱり手を差し伸べる時はちょっと緊張するけど、随分と自然に振舞えるようになった。
 夏希さんはいつも通りに微笑んで、なんでもないよって感じに手を握り返してくるけど。
 手を繋いだ瞬間、離さないよって感じにキュッと握り締めてくれるのが健二は好きだ。
 手を繋いで、腕を組んで。時々は肩を抱き寄せたりもしてみて。
 自分たちは随分と恋人らしくなってきたと、健二は思う。
 キスも、それ以上のことも……回数こそ多くはないけど、ゆっくりゆっくり二人は恋人同士の階段を上っている。
「私、留学するわ。春になったら、イギリスに」
 この時期になれば必ず街に流れるクリスマスソングを聞き流し、キラキラと降り注ぐ星のように瞬くイルミネーションを見ながら夏希が努めてなんでもない風に呟く。
 色恋沙汰とOZ関連のことには疎いけれど、それ以外のことに関しては意欲的で大変グローバルな夏希は健二の手を確かめるように握り締めて微笑む。
 その手をしっかりと握り返しながら、健二は凄いねと微笑み返す。
「夏希さん、ずっと留学したいっていってたもんね。ちょっと寂しいけど、応援するよ。頑張って」
 一年以上かけてやっと敬語の抜けた言葉で健二なりに今、夏希が一番欲しがっているだろう励ましを送る。
 それは正しく夏希が求めている言葉だったのだろう「ありがとう」という言葉と共にとびきりの笑顔が返ってくる。
「健二くんに、励まして欲しかったの」
 海外に行くのだ、不安でないはずがない。
 だから、夏希は健二にその言葉を頑張れと言って欲しかったのだろう。
 栄のように「あんたならできる」と、ほかでもない健二が背中を押してくれると安心するのだ。
 こういうとき、夏希は健二のことが好きだと実感する。
 ふんわりと胸が温かくなって、幸せな気分になるのだ。
「本当に、ありがとう。健二くん、大好き」
 幸せな気分のまま、そういえば健二は少しはにかんだ笑顔で応える。
「僕も、夏希さんが好きです」
 ふふふと顔を見合わせて笑いあって、仲の良い恋人同士は手を繋いでイルミネーションで煌く街を歩いていく。


「で、お前さんはそれで良いワケ?」
 所属しているサークルの部室で、いつものように佐久間がコーヒー牛乳を飲みながら胡乱な眼を向ける。
「それで、って。なにが?」
 ワケが判りません、と言う風に首を傾げれば佐久間が盛大にため息を吐く。
「なにが、じゃねーだろ! 夏希先輩が留学って、超遠距離恋愛だろ。お前不安じゃねーのかよ」
 あんな美人がほっとかれるわけねーだろ! と呆れ返ったという風に佐久間が吐き捨てても健二はピンと来ないようではっきりしない様子だ。
「まあ、少し寂しいなとは思うけど。夏希さんのやりたいことを、反対するはず無いだろ。それに、不安って言われたら……僕が夏希さんに釣り合ってるかって考えるほうが不安だな」
 高校のときに比べて少しは改善されたものの、やはり自分に自信を持ちきれない健二の言葉に佐久間は深いため息をついて肩を落とす。
「あーぁ、もうお前らがそれで良いなら俺は何も言わねえよ」
 せいぜい頑張れ、と呟いて佐久間はやはりいまいちわかっていない親友の様子に眉根を寄せる。
 健二と夏希が付き合い始めたのは2年も前のことだ。
 それまでずっと憧れていた相手と付き合うことになったが、晩生なことにかけては右に出るものはいない健二に負けず劣らず、恋愛ごとに疎い夏希ははたから見ているとむずかゆくなるくらい初々しいオツキアイをはじめた。
 佐久間は、いつの時代だよと思いつつもその初々しい二人を呆れながらも微笑ましく見守っていたのだ。
 時にはデートに誘えと映画などのチケットを手に入れてやったりもした。
 あれから2年、二人は順調にお付き合いを続けているのに、佐久間はどうにも妙な違和感を感じるのだ。
 健二から聞き出したことがあるので、二人の関係が進展しているのは知っている。
 だが、健二と夏希の間にある感情が、恋愛感情と言うには穏やか過ぎると佐久間は思う。

――言っちまえば、ままごと見てるみたいなんだよな。

 よく言えば熟年夫婦のような落ち着いた雰囲気と言えなくもないのだが、どうにも稚拙さが拭いきれない。
 些細なきっかけで、瓦解してしまいそうな危うさが二人の間にあるように思えた。

「ま、何事もなけりゃ。それに越したことはないか」
「ん、なんか言った?」
 小さく呟いた言葉は健二は聞き取れなかったらしく、訝しげな様子で聞き返してくる。
「ただの独り言だよ」
 気にするな、と返して佐久間は部室に持ち込んだ私物のノートPCのモニタに視線を集中させた。

幸せな日常に、ぽつりと落ちる影。
当事者たちは気付いていない、けど周りから見れば危うく感じられる。
佐久間はなんとなく気付いているけど、どうしようもないことも知っているから何も言えない。
そんな感じです。なんかいよいよ物語が動き始めたという感じになってますな……!
佐久間はいいなー。動かしやすいし、フォローもしてくれる。しかも眼鏡!
最高ですw