3月に入ってすぐ、健二が第一志望の大学に無事合格したとの報せを陣内家の一同は受け取った。
かなりの難関校だと聞いていたので、その吉報に陣内の人間は我がことのように喜んだ。
ついでに、同じ大学を受けた佐久間も受かったらしい。
健二は春休みに入ったら、約束どおり上田にお邪魔させていただきますという連絡を万里子に入れたらしい。
「なに堅苦しいこと言ってるの。健二さんはうちの身内なんだから、他人行儀はなしよ」
軽く叱り飛ばされて、盛大にお祝いするから楽しみにしておいてとまで言われた健二は、慌てるやら恐縮するやら照れるやらで面白かったと万里子が語り草にしたりした。
そうして、卒業式を終えて入学準備も済ませた春休み。
健二はいつものように夏希と一緒に新幹線に揺られて、上田にやってきたのだった。
「いい? お邪魔しますとか言ったらきっと背中叩かれるわよ。一番喜ぶのはただいまなんだけど」
別所線の電車に揺られながら、まだ少しだけ雪の残る風景を眺めていたら夏希が出し抜けにそういった。
「あ〜……。ええと、が、頑張ります」
いまいち気弱に答える健二に、夏希はちょっとふくれる。
「あ、ほらまた! 敬語はもう禁止! 先輩呼びが治ったんだから、敬語も治るはずなのに」
基本的にというか、そのまんま草食系男子を地で行く健二は、憧れの存在であった夏希と付き合うようになってもしばらく「先輩」呼びが治らなかった。
夏希が大学に進んでからは、同じ学校じゃなくなったんだからとゴリ押ししてやっと「夏希さん」と呼ぶようになったのだ。
その健二にとっては、既に定着してしまった敬語をやめるというのはかなりハードルが高いのだが、意図的にだろうがぎこちなかろうが敬語でない気安い言葉を使えば夏希が大変喜んでくれるので、何とか頑張ろうとしている。
「ご、ごめん。き、気をつけるよ」
「うん、よろしい。あ、もう着くよ」
敬語をやめる努力を見せてくれる健二に嬉しそうに微笑んで、夏希は目的の駅に停車した電車から降りる。
バスの時間は10分後らしく、2人でちょっと寒いねと言いながら自動販売機で暖かい飲み物を買って飲んだ。
夏に来る時などは、皆で示し合わせた日に集まるので道すがら人数が増えるというのが通常なのだが、今回は入学準備などを済ませていたため健二たちは皆よりも2日ほど遅れての到着だ。
上田の本家に到着するまで誰も会わなかったのが新鮮で、なんだか不思議だなと言ったら夏希が。
「健二くんもすっかり陣内家の人間だよね」
と、楽しそうに笑った。
「そう? そうなら、嬉しいな……」
喧嘩は余りしなくなったとは言え、健二の両親の中はすっかり冷え切っており、いつも寒々とした家に置き去りにされていた。
夫婦喧嘩をしなくなったというのは聞こえがいいが、どちらかと言うと関心を持たなくなったというほうが強いのかもしれない。
そんな家庭環境だからこそ、健二乱暴なまでに暖かくわけ隔てなく接してくれる陣内家に強い憧憬と愛着を持っている。
「あ、そうそう。健二くんが一人暮らしをはじめるって言ったら、万里子おばさんたちが心配してたよ。ちゃんとご飯作れるのかって」
冷え切って居ないも同然の家族なら、いっそ一人でいるほうが無駄に期待したり落胆したりしなくて良い、と健二は一人暮らしすることを選んだ。
「あはは、高校のときから自炊とかはしてたから、大丈夫なんだけどなぁ」
自活を提案した健二に、両親は「あ、そう」と言って反対することなく保証人の欄にサインをして判子を押した。
アパートの家賃と学費と仕送りに関しては、通帳とキャッシュカードを渡されて金額が足りなくなれば連絡しろとだけ言われた。
全幅の信頼を寄せられている、と世間の人ならば言うだろう。
だが、それは無関心から来るものだということを健二は知っている。
これではまるで、陣内家の人間の方が肉親らしい関心を向けているではないか、と健二は思う。
そして、そういう風に関心を向けてくれる相手が居るだけ、自分は幸せなのだとも実感する。
それが実の両親じゃないだなんて、何の問題もないじゃないか、と。
「あ、そうだ。後で健二君のアパートの住所教えてね。きっと万里子おばさんたちからも聞かれるわよ、お米とか野菜を送ろうかとか言ってたから」
「ええ!? なんだか申し訳ないなあ」
嬉しいし助かるけど、いいのかなあ? と相変わらず恐縮する健二に、甘えておきなさいよと返しながら夏希は修理されて以前のように威厳のある門に向かって歩き出す。
「いいのよ。皆、健二君のことが好きなんだから。……あ、佳主馬だ」
門をくぐって玄関に向かう途中、庭の方でいつものように少林寺拳法の稽古をしている佳主馬がいた。
「あれ。佳主馬君、また随分大きくなったなあ……。今度中3だよね、それであれかぁ」
もっと伸びるだろうなあ、と羨ましげに呟きながら健二が伸び悩んでいる我が身長を顧みて肩を落とす。
「うちの家系は、大きい人ばかりだからねえ。そのうち真悟たちにも追い越されたりして。おーい! 佳主馬ー!」
洒落にならない残酷なことをあっさり呟いて健二を軽く絶望させた夏希が、こちらに気付いたらしい佳主馬に大きく手を振る。
佳主馬を呼ばう声が家屋にまで届いたのだろう、数瞬後に家の中からどやどやと人の声がしてきた。
一足先に佳主馬がタオルで汗を拭きながら近づいてくる。
「夏希姉ちゃん、健二さん久しぶり。あと、健二さんは大学合格おめでとう」
「久しぶり、そしてありがとう佳主馬君。……随分伸びたねえ」
近づいてきた佳主馬の目線は、去年の夏よりもかなり近くなっている。
身長はまだ辛うじて健二のほうが勝っているのだが、間違いなく遠からず追い抜かれるだろうことが予想される。
「夏から12センチくらい伸びたかな。まだ間接とか痛いんだよね」
成長痛とは余り縁がなかった健二は、羨ましいなあと正直に感想を述べる。
3人で連れ立って玄関に辿り着けば、待ち構えたように陣内家の一同が出迎えてくれる。
「夏希に健二さん、良く来たね。道中変わりはなかった?」
万里子おばさんを皮切りに、口々に歓迎の言葉が発せられる。
「健二、大学合格おめでとう! 今日は盛大に祝うからな!」
「あんた、一人暮らし始めるんだってね。大丈夫なの? 何かあったら理一に言ったら良いわよ」
「姉ちゃんの言うとおりだよ、いつでも言ってきていいよ。というか、防衛大に入って欲しかったんだけどなあ」
「お、健二君か。アメリカの大学を選んでくれりゃ良かったのによ。ハーバード辺りなら優秀な数学教授が多いのに」
「けんじー! おそいぞー!」
「けんじ、あそべー!!」
偶然通りがかった侘助にまで言われて、健二はあっという間にもみくちゃにされる。
「あ、ありがとうございま……わっ! うわわわ!」
飛び掛ってきた真悟と祐平を受け止め損ねて、ついでに荷物も抱えていたせいで健二がパランスを崩してしまう。
「あぶなっ」
団子状になってあわや倒れる、という寸前に隣に居た佳主馬が体を支えて事なきを得る。
「健二君、大丈夫? こーら、真悟に祐平! あぶないでしょ!」
夏希が心配しながら、へばりついた2人を引き剥がしてくれて佳主馬に支えてもらいながらようやく体勢を戻す。
「だ、大丈夫…。ありがとう佳主馬君、助かったよ」
びっくりした、と言いながらへにゃりと笑う健二に、佳主馬が小さく笑む。
「僕は大丈夫。てか、健二さん軽すぎ。もっとしっかり食べて体重増やしなよ」
その言葉に黙っていなかったのは、勿論万里子を始めとする陣内家の女性陣である。
「まあ! 健二さん、ちゃんと食べてるの? 今からおやつだから、しっかり食べなさい。うちに居る間に太るくらいの勢いでね!」
さ、奈々ちゃん達おやつを出すの手伝って、と万里子が声をかければ台所を取り仕切る女性陣が「はーい」と返事をする。
「あ、ありがとうございます。……と、それと。た、ただいま……です」
夏希に言われたセリフを、顔を真っ赤にしながらおずおずと呟けば、居合わせた全員が目を丸くする。
まずかったかな……、と心配になって謝ろうとした健二は次の瞬間、全員に満面の笑みで「おかえりなさい」と言われて、不覚にも泣きそうになってしまった。
困ったように眉を下げて、ちょっとだけ目尻を潤ませて、心から嬉しそうに笑う健二に。
夏希は「だから言ったでしょ」と得意げな微笑みを向けた。
台所に女性陣が向かって、健二は荷物を置きに行くといつも彼のために用意されている部屋に消えていった。
夏希も荷物を置きにいき、男性陣も三々五々リビングなどに引き込んだあと。
佳主馬は、しばらく玄関先に佇んでいた。
己の手を見下ろし、ゆっくり握っては開いて何かを確かめるように。
「あれ、佳主馬。何やってんの?」
荷物を部屋に置いて広間に向かう途中の夏希に声をかけられて、佳主馬は半分上の空で「うん……」と気のない返事をする。
「もうおやつ出来るって。あんたも手洗ってついでに顔も洗ってらっしゃい」
先に言ってるわね、と首を傾げながらも夏希は佳主馬を置いて広間に行ってしまう。
佳主馬はやっと三和土から足を上げて家に上がる。
さっき支えた健二の体が、思いのほか軽くて驚いているのだ。
――健二さん、あんなに小さかったっけ。
2年前は、見上げるほどだった顔が今は同じような位置にある。
支えた体は、自分より肩幅が狭くて薄くて、大丈夫なのかと心配になった。
守ってあげなきゃ。
なぜか、佳主馬は無性にそんな気分になった。
というわけで、佳主馬の中で健二さんに対する感情に変化が出来た瞬間。という感じに書いてみました。
男の子の成長期ってどんな感じなんだろう?
とりあえず、佳主馬はかなり大きくなりそうなので成長痛とか酷そうだなあ。
あと、食欲凄そう。成長期の胃袋はブラックホールです。日に5〜6食は当たり前。
もりもり食べる成長期佳主馬……も、萌える!