英国の空の下で

(『』内の言葉は英語だと思って下さい。「」は日本語です)


 大好きな人がいます。
 手を繋いで歩くと、胸がホカホカして嬉しい気持ちになります。
 一緒に美味しいものを食べて「美味しいね」って笑い合うのが幸せだなって思います。
 あの人の「大丈夫、きっと出来る」は、かつて一番大好きだったおばあちゃんと同じくらい勇気をくれます。
 嬉しそうな笑顔を見ると、私も嬉しい。
 悲しそうな顔をしていると、元気を出してって言ってあげたくなる。

 一緒に遊んで、笑いあって、ご飯を食べて、手を繋いで歩く。
 健二君が幸せなら、それが私の幸せだっていつでも思ってる。
 大好きな、大好きな私の恋人。

 でも、どうしてかしら。
 彼と一緒にいると穏やかな気持ちになれるけど、これが本当に恋なのか……私にはわからないの。



『ナツキ、帰りに皆でお茶するんだけど。あなたもどう?』
 同じクラスの子が気さくに声をかけてくるのに、夏希はテキストを鞄にしまいながら顔を上げる。
『ごめん、今日はちょっと人と会う用があるの。また今度誘って』
 いつもなら二つ返事で了承するのだが、今日は大事な用があるのでお茶会参加は断念しなければならない。
『まあ、恋人かなにか?』
『残念、彼氏は日本で大学生よ。今日会うのは、親戚のおじさんなの』
 じゃあまた明日、と挨拶を交わして夏希は鞄を手に教室を後にする。

 アメリカを拠点にしてはいるけれど、軽いフットワークで世界中を行き来する陣内家の天才プログラマーに会うのは、結構久しぶりだから夏希の足取りは飛ぶように軽かった。
「侘助おじさん!」
 待ち合わせのステーションに小走りで近づけば、喫煙所でタバコをふかしている男が目に入る。
 夏希の声に、軽く手を挙げて側に駆け寄って来る間にタバコの火を揉み消す。
「よぉ、夏希。元気そうだな、勉強は順調か?」
 2年前の夏の日以来、家族とも和解した侘助は随分と雰囲気が柔らかくなった。
 理一や万助が、本家で酒を飲みながら「雨降って地かたまるって奴だなぁ」としみじみ呟いていたことを思い出して、夏希は優しい変化に嬉しくなる。
「うん、元気よ! 勉強もまあまあかな? 言葉は何とかなるんだけど、やっぱりスラングとか混じるとわからないかなあ」
 こればっかりは辞書などに載っていないので、何とか体で覚えていくしかないのだが、侘助もアメリカで初めのころに同じような思いをしたのだろう「そうだなあ」と結構神妙に頷いている。
「いちいち聞くしかないからなあ。アメリカとイギリスも同じ英語の癖に、勝手が違ったりもするしなあ」
 とりあえず移動するか、と促されて歩きながら2人はそれぞれの近況や陣内家の近況を報告しあう。
 ちゃんと飯は食ってるか? 大丈夫、おじさんこそ食べてる? などと陣内家特有の会話を交わしながら適当なカフェでお茶をして。
 イギリスはメシがまずくてしょうがないよな、なんてぼやきながら食料品店で材料を買い込んで。
「これくらいあればしばらくはもつだろう。理一や万里子姉さんたちにしっかり様子を見てくれって頼まれたからな」
 天邪鬼な侘助は絶対言わないだろうけど、一番自分を気にかけてくれていることを夏希は知っている。
 小さい頃、栄に頼まれたことを忘れずに、今も慕ってくれる夏希にかの人の影を重ねているということも。
「ありがとう、侘助おじさん。万里子おばさんたちにもお礼を言ってね。ちょっと寂しかったから、凄く嬉しい」
 自分で決めてこっちに来たのだから、弱音を吐くつもりはないのだけれど、やっぱり寂しいという気持ちはどうしようもない。
 友達も出来たし一人でいるわけではないけれど、心細いのは大好きな人達とすぐに会える場所に居ないからだろう。
 その気持ちを、同じように留学して家を飛び出しアメリカで暮らしていた侘助は良くわかるから、何も言わずにくしゃくしゃっと夏希の頭を無言でなでた。
「困ったことがあるなら、いつでも連絡しろ。お前には色々恩もあるしな、借りを返すには丁度良い」
 20以上も年の離れた子供相手にも天邪鬼で、それなのに優しい侘助の言葉に夏希がきゅっと眉根を寄せて笑う。
「ありがとう、おじさん大好き!」
 ちょっと泣きそうになっちゃった、えへへ。とごまかし笑いをしながら、食料品の入った袋を担いで夏希の下宿先まで行く。
 荷物を冷蔵庫に入れ終わった頃、侘助の携帯がなった。
『もしもし。あぁ、あんたか。……今から、じゃねえとまずいなそりゃ。しょうがねえなあ』
 どうやら急な仕事が入ったようだった。
 いくつか言葉を交わして電話を切った侘助は、夏希を振り返ってちょっと済まなそうな顔になる。
「なんだか、大変そうだね。私は大丈夫だから、お仕事頑張って」
 珍しく気を使っている相手に、くすぐったい気持ちになって笑いながら送り出す。
 もう少し話していたかったけど、仕事ならしょうがない。
 ここで引き止めるほど夏希は子供でも、考え無しでもなかった。
「おう。じゃ、またな」
 いってらっしゃい、と侘助を見送って、夏希はドアに鍵をかける。
 2年の間に、侘助は驚くほど穏やかになった。
 最初のほうこそ、皆ぎこちなく接していたのに、今では昔の確執の影が大分薄くなった。
 それを思い出して夏希は、堪らなく嬉しくなるのだった。



 おじさんが笑顔だと嬉しいのです。
 頭をなでられるのも、ふんわりした気持ちになるんです。
 心配されるのがくすぐったくて、褒められるのが嬉しくて。
 一緒に居るのが良い、だって家族だもの。
 侘助おじさんが幸せで、笑顔で居られるなら。
 きっと私も幸せになれるのです。
 子供の頃は必死になって繋ぎとめようとしたけれど、今はもう大丈夫。

 なんだか不思議。
 それって、健二君に対して思うことと、凄く良く似てる。

 恋人の好きと、家族の好きって似てるのかしら。


 それとも……

夏希が健二に対する思いに疑問を持ちました。
恋というよりは家族愛に近い想い。
夏希はほぼ恋愛経験が無い状態で、大きな事件を乗り切った健二と恋をしたけれど、余りにもお互いが穏やか過ぎたんでしょう。
恋人と言うよりはほぼ家族と同じ愛情を持っているのに、やっと気付き始めた。そんな感じです。