たとえば熱射病のような

 大学生活と一人暮らしに慣れてきた頃に、大学に入って初めての夏休みが来た。
『今年は何日くらいに来れるの?』
 そう言ってメールを寄越してきたのは、上田の家を取り仕切る万里子おばさんだった。
 もう、彼女たちにとって健二が上田に行くことが当然のことになっているみたいだ。
 自活を始めたのが気になるらしく、頻繁にメールが来たり野菜や魚などの食糧が届いたりする。
 健二も最初の数回こそ恐縮して何度も何度もお礼を言っていたのだが、「水臭い、家族じゃないの」という言葉に諭されて、お礼の電話は忘れないものの以前ほど他人行儀に恐縮しまくることはなくなってきた。
 変わりに、上田に向かう時は皆が喜びそうなお土産を見繕って持っていこうと心に決めていたりする。

 上田にお邪魔する時は必ず夏希と一緒だったのだが、今回は彼女の所属している剣道サークルで大会があるとのことで健二だけ先に上田に向かうことになった。
「んー、何か心配だなあ。バスとか乗り間違えないでね」
 まるで初めてお遣いに向かう子供を心配するようなノリに、健二は苦笑しながら何度も大丈夫と言ったのだが。
「じゃあ、僕が一緒に行くよ。丁度上田に行く前日に東京で仕事が入ってるから」
 佳主馬の一言で、あっという間に話が纏ってしまった。
 夏希は「佳主馬が一緒なら大丈夫ね」と言い、佳主馬の両親は「迎えに行く手間が省けたわ、健二君お願いね」と頼んできた。
 健二にとっては微妙に何か不本意な部分もあるのだが、一人で行くよりは誰かが居てくれたほうが楽しいからまあ良いかと、佳主馬と一緒に上田に向かうことにしたのだった。

「健二さん、こっち!」
 待ち合わせの銀の鈴広場に健二が到着した時には、既に佳主馬は柱に寄りかかって人待ち状態だった。
「佳主馬君、ごめんねちょっと遅れちゃった」
 中央線の人身事故で電車が遅延したせいで、到着が遅れてしまった健二は走ってきたのだろう額に浮いた汗をハンドタオルで拭きながら申し訳なさそうに謝る。
「そんなに待ってないし、ここは涼しいから大丈夫。新幹線の時間も余裕を見てたしね。とにかく健二さんが乗った電車とかじゃなくて良かった」
 足元に置いたスポーツバッグを抱え上げて、佳主馬は小さく笑う。
 中学三年生に進級した佳主馬は、春に会った時よりもまた数センチ身長が伸びていてとうとう健二と並んでしまっている。
「それにしても……。覚悟して来たとは言え、やっぱりちょっとショックだなあ。佳主馬君、育ちすぎだよ」
 男としてのなけなしのプライドがぁと冗談めかして笑う健二に、佳主馬も唇の端を吊り上げてニヤッと笑う。
「残念だったね。言っておくけど、まだ伸びてるから。健二さんをあっという間に見下ろしちゃうかもね」
 伸び悩む……というか、既に成長が止まったっぽい健二に無慈悲な一撃を食らわせて、佳主馬はそろそろホームに行こうかと涼しい顔で移動を始める。
 落ち込みつつも健二はその後について歩き始めたのだが、不意に佳主馬が売店の前で足を止めた。
「移動時間結構あるから弁当買って行こう。小腹空いてるんだよね」
 さすが食べ盛り伸び盛り、さらに少林寺拳法を嗜むだけ合って体つきもしっかりした佳主馬は随分食べるのだろうと健二は予想した。
「食べ盛りだねえ。そういえば、僕も成長期の時は一日5食とか食べてたなあ」
 佳主馬君はどれくらい食べてる? と水を向ければ、既に自分用の駅弁を3つほど手にしている佳主馬がちょっとだけ考え込む。
「朝食べて、学校についてパン食べて、昼に弁当、6時間目終って軽く食べて、家に帰ったら妹と一緒におやつ、夕飯食べて、夜食も食べて……軽く7食?」
 しかも1食に食べる量が今手にしている弁当を見る限り、かなりの量になるだろう。
「うわぁ、それは育つはずだよ。さすがです、キング」
 冗談めかして御見それしました、と肩を竦めると「なにそれ」と佳主馬が笑いながら弁当とお茶をレジに持っていく。
 健二もサンドイッチとコーヒーを購入して、新幹線改札を通って上越新幹線のホームに出れば広場を出たときからジワリと伝わってきていた暑さが一気に襲い掛かってくる。
「うわ、あっつ……」
 夏だなぁ、と当たり前のことを呟きながら手でひさしを作って健二が空を見上げていると、不意に日差しに影が差した。
「入線は10分後くらいだって」
 時刻表を確認した佳主馬が隣に並んでさっき買ったばかりのペットボトルの栓を開ける。
 日差しから健二を守るような位置に立つ佳主馬に目を向ければ、逆光になってその表情はよく見えない。
 健二と並ぶほどに成長した佳主馬の体格は、数学一辺倒で運動とは縁のなかった健二に比べると随分逞しくて、その日陰も人を一人覆って余るくらいだった。

――なんだか、守られているようだな。

 そんなことを思いながら、普通なら年上である自分の役目なんだけどと思いつつ複雑な視線を佳主馬に向ける。
 自分を見ていることに気付いた佳主馬は、健二がそんなことを考えているとはつゆ知らず、目を合わせて「なに?」と目を細めて微笑む。

「な、んでも……ないよ」
 その仕草が、余りにも格好良く様になっていて、健二は思わず顔を赤らめて暑さのせいで額に滲んだ汗をタオルで拭く。
「顔赤いよ? 暑いなら、僕がここで場所確保してるからしばらく売店の中にいる?」
 熱中症になるよ。と気遣わしげに覗き込んでくる佳主馬に、大丈夫だと重ねて告げながら健二は少し上がった心拍数を暑さのせいにする。

 なぜ佳主馬の仕草にドキっとしたのかわからないまま、健二は「今は暑いけど新幹線の中は涼しいから大丈夫」と笑って返す。
 わけのわからないまま胸の奥と顔に灯った暑さは、まるで熱射病に掛かったかのようにしばらく健二に付きまとった。

成長して男らしい格好良さを手に入れつつある佳主馬と、それにドキッとする健二。
同じ男でも、やっぱり格好良い部分を見せ付けられるとドキっとすると思うのです。
そんな感じで、健二さんもちょっとずつ意識するようになれば良いと思います。
守りたいと思う佳主馬と、自分にはない男らしさに羨望と憧憬を持つ健二さんは、ちょっとずつお互いを意識し始めるのです。