彼我の距離

――佳主馬君がお風呂に入る間、ちょっとPC借りてもいいかな?

 別に必要ならいつでも貸すけど、と言いながら佳主馬は納戸で健二にPCを預けて風呂に入った。
 すぐに上がれば気を使って用事が終ってないのにPCを返却してくるかもしれないと思い、いつもより気持ちゆっくり風呂に浸かって茹だる寸前に上がった。
 台所で冷えた麦茶とグラスを二つ失敬して、納戸に向かうと音声チャットをしているらしい健二とその相手の声が聞こえた。

『見つけといたぞ、教習所。卒業生の評判もまあまあだったから、予約取っといた。俺とお前の2人分な』
 その声と喋り方は佳主馬も良く知っている佐久間のもので、バイト関連かな? とか思いながら近づく。 
「さんきゅ、期間はいつからだっけ? ――あ、佳主馬君おかえり。ごめんね今あけるから」
 案の定、気を使って会話を切り上げようとする健二に「いいよ、佐久間さんもまだ用事あるんでしょ」と言って、グラスに麦茶を注いで手渡す。
『お、キング。そういえば、キング見るの久しぶりだな、いつもアバター同士だから。随分成長したなあ、チョーイケメン!』
 カッコイー! と茶化す佐久間に「なにその口調」と律儀に突っ込みを入れながら佳主馬は挨拶を返す。
「チャットとかメールではやり取りしてるから、久しぶりってのも微妙だけどね。邪魔しないから、用事済ませていいよ」
 自分のグラスにも麦茶を注いで乾いた喉を潤してから、肩にかけたタオルで雫の滴る髪を拭く。
「そう? ごめんね、ありがとう佳主馬君。――で、合宿なの?」
 済まなそうに礼を言って健二はモニタに向き直って会話を続ける。
『そう、それが一番早いだろ。通いだと1〜3ヶ月掛かるのが16日で卒検まで行くんだぞ』

 どうやら、運転免許取得の話をしているらしいと佳主馬は髪を拭きながら思う。
 そういえば健二は既に19歳になっているのだ、運転免許を取得してもおかしくない年齢だなと考えて。
 妙に胸がきりきりするのを佳主馬は自覚した。

「あれ、8月末に入学なんだ?」
『そう、8月半ばまでは高校生も駆け込みでいるから混むんだよ。幸い大学生は9月までが夏休みですし? 利用しない手はないだろ』
「なるほど。じゃあ、パンフとか詳しい資料は帰ってから取りに行くよ」
『あいよ。そんじゃ、俺はバイトに戻るわ』
「うん、おつかれー」
 ピコン、という電子音と共に通話回線が閉じて健二はアカウントのログアウトをする。
「佳主馬君ありがとうございました」
 礼と共にPC前の席を明け渡されて、胸にモヤモヤしたものを抱いたまま佳主馬は健二と入れ替わりにその場所に座る。
「健二さん、免許取るんだ?」
 佳主馬は自分のアカウントのログイン作業をしながら、隣で麦茶を飲んでいる健二に問いかける。
「うん、今の内に取っておいたほうが後々楽だからね。2年3年になると、学校のほうが忙しくていく暇なくなるぞとか脅されたし」
 持っておいた方が良いだろうし。という言葉に、佳主馬の胸のモヤモヤはさらに大きくなる。
 いくら成長期で身長が並んだと言っても、それは外見だけなのだと思い知らされた気分になる。
 かたや免許取得の出来る年齢で、もう一方は原付免許すら取得する資格の無い中学生。
 4年という年月の差は、若いからこそ如実に現れていてどんどん置いていかれるような不安な気持ちになる。
 なぜ、そんな風に不安な気持ちになるのかわからないまま佳主馬は眉根を寄せてログインした画面を見据える。
「そういえば、佳主馬君は今年高校受験なんだよねぇ。どこに行くかは決めてるの?」
 のほほんとした健二の問いかけに、我に返った佳主馬は少しホッとしたような気持ちで答える。
「情報系の専門とかも考えたんだけど、課題とかに下手に時間取られて今の仕事おろそかになるのもどうかと思うから、普通に高校に行く予定。大学で情報工学専攻するつもり」
 既に自分の進路をある程度決めている佳主馬に、健二が感心の声をあげる。
「凄いねえ、そんなところまで考えてるんだ。僕なんか、中3の時は目の前の受験にいっぱいいっぱいで将来の進路とか全然考えてなかったよ」
 尊敬の眼差しを向けられて、照れ隠しに「別に大したことない」と呟きながら佳主馬はメールチェックを済ませる。
 届いたメールはスポンサーからの連絡が4通に、ゲーム会社からが1通。
 目を通して、すぐに返事が必要なものは無いのを確認してキング・カズマの調整をするためにトレーニングルームにアクセスする。
 明日の夜にエキシビジョンの予定が入っているので、一応確認をしておかなければならない。
「あ、そうだ。来年の春になっちゃうけど、高校の入学祝いに何か欲しいものがあったら言ってね。たいしたものは用意できないけど……。何もリクエストがなければ、真緒ちゃんと同じようにボールペンになります」
 ふと思い出したような健二の言葉に、佳主馬はこの春、中学に進学した真緒に健二が渡した入学祝のボールペンを思い出す。

――たいしたものじゃないけど、良かったら使ってね。

 入学おめでとう、との言葉も添えて健二が真緒に渡したのは、文具店でショーケースに並べて販売されているような上等なボールペンだった。
 本人の言うとおり、そこまで高いものではないが小学生が持つにはかなり上等なものだった。
 ブラックの専用ケースに収められたのはバーガンディのシックなボールペンで、100円で売られている量産品と違うズシッとくる確かな重みと滑らかな書き味は、健二がよく考えて選んだろうことが伺えた。
 さらに、軸には「Mao Jinnouchi」と筆記体で名前まで入っていたので、思わぬ贈り物に真緒は大喜びしていた。
 それをしきりに羨ましがった祐平と真悟に健二は「中学入学の時にちゃんと用意するよ」と笑顔で約束していたのを佳主馬は覚えていた。
「……べつに、気を使わなくてもいいよ。いちいち用意するのも大変でしょ」
 欲しいものは特になく、そういったノベルティなどはスポンサーがいつの間にか用意するので佳主馬は特にこれといった物欲が無い。
「そんなこと無いよ! 僕も春に入学祝を沢山してもらったから、お返ししたいのもあるんだけど」
 勢い込んでそこまで言った健二は、少し照れくさそうにしながらそれに……と言葉を続ける。
「それに、さ。今までこういったことやったこと無かったから、お祝いとか考えるのが凄く嬉しいんだ」
 なんか、家族の一員ですって感じがするんだ、とはにかむ様子に。
 佳主馬は不意に湧き上がった衝動を抑えるために、息を飲んで拳を握る。
 そして、ゆっくり息を吐いてそれをやり過ごし「どうしたの?」と首を傾げる健二に何とか呆れた表情を取り繕う。
「でも、急に言われても思いつかないよ。でも、あのボールペンは中々よかったから、ほかに思いつかなかったら同じものでいいかな。名前にキング・カズマとか入れないでよ」
 健二はその言葉に嬉しそうにしながら「釘刺されたか!キング・カズマとかカッコいいのに」と笑っている。
「あ、いたいた。健二君、お風呂あいたからどうぞだって」
 話し声を聞いて健二を探していたらしい夏希が納戸を覗いて声をかけてくるのに、「あ、はい」と返事をして健二が立ちあがる。
「佳主馬君、後でフリーバトルするんだよね。見に来て良い?」
 自分の使ったグラスを持って納戸を出ようとした健二が、ふと思い出して振り返って問うて来る。
「いいよ。あ、賄賂はアイスで」
 風呂上りにアイスをくすねてくる事を、佳主馬が条件として出せば健二は笑いながら「あはは、おぬしも悪よのう。了解〜」と言いながら歩いていった。
 夏希は用件を伝えてすぐに立ち去っていたらしく、納戸には佳主馬一人が残った。
 モニタに向かって装備の調整に取り掛かるのだが、集中しきれずに佳主馬は手を止めてため息をつく。
 思い出すのは、先ほどの健二のはにかんだ笑顔。
 湧き上がった衝動は、どうしてそう思ったのか今でもわからない。

――抱きしめたい。

 4歳も年上の、兄とも慕っている存在に対して思うことじゃない。
 理性はそう言っているのに、それとは裏腹に高鳴った鼓動はまだしばらく落ち着いてくれそうに無かった。

そろそろ気づけよ、ってか自覚しろよ佳主馬。なお話です。
まったくもう、体は育っても子供だなあ、とか生暖かく眺めてやってください(笑)
しかし、自覚したらあっという間に大人になりそうな佳主馬。
そこはやっぱりキングだからでしょうw