『別れましょう、私たち』
幸せそうに微笑んで、愛情の込もった瞳で見つめてくる夏希さんに、僕はただ静かに頷くしかできなかった。
「なあ、佐久間……。恋人と別れたら、普通は二人で会ったり連絡取り合ったりしないものだよな?」
大学のサークル部室で、OZ保守点検のバイトをしながら不意に問いかけてきた僕の言葉に、佐久間は飲んでいたコーヒー牛乳を逆流させた。
「げ、ほっ!ごほっごほっ!」
「汚いなぁ、気をつけろよ」
ポケットティッシュを差し出してやると、佐久間は引ったくるようにそれをつかんで詰め寄ってきた。
「おま、それどころじゃねーだろ!別れたのか、夏希先輩と!?」
すごい剣幕だな、なんてぼんやり思うくらいには僕は冷静なのか、それとも麻痺しているのか。
判別できないまま、佐久間に曖昧に頷いてみせる。
「別れましょう、って言われた。僕のこと大好きだけど、それは家族に対する愛情と同じだって」
そう言って、恋人関係を解消した……されたのだが、恋人でいた時と状況は全く変わっていないことが、佐久間に質問する原因だった。
別れましょうと言った後、それに頷いた僕に嬉しそうに微笑んで、夏希さんは言ったのだ。
「じゃあ、買い物の続き行こう!可愛いストラップ見つけたの、お揃いでつけようよ。後、晩ご飯はうちに食べに来てね、お母さんが健二君の好物作って待ってるのよ」
訳が分からなかった。
別れたら、もうそれで終わりだと思っていたのに。
別れても健二君が好きなのは変わらない、といって夏希さんは以前と変わらない態度で接してくる。
「別れたはずなんだけど、何一つ変わってないんだよ」
そう前置きして、いきさつを語れば佐久間は難しい顔で唸り始めた。
「なるほどねえ……そう来たか」
そう来たかとはどういう意味だ、と思いながら僕は佐久間の言葉の続きを待つ。
「俺がさ、常々言ってたじゃん。お前ら本当に付き合ってんのかよ、って。つまりそういうことだよ」
「どういうことだよ」
ムッとした僕に、まあ聞けよとメガネを押し上げてしたり顔で続ける。
「健二と夏希先輩はさ、恋人同士であって恋人じゃなかったんだよ、言葉通りに。強いて言うなら恋人ごっこ?俺はお前が、夏希先輩に近づく男に嫉妬するのを、見たことがない」
佐久間の言葉に、僕は何も言い返せない。
それは違う、と言い切れなかった。
僕は相変わらず自分に自信がなくて、夏希さんにはもっと相応しい人がいるに違いないと常々思っていた。
今も、そうだ。夏希さんに釣り合う人間が現れることに、もう恐れなくても良いのだとどこかで安堵している自分がいる。
もちろん、夏希さんを不幸にする男なら死んでも渡せないけれど。
よくよく思い返すと、自分の中での夏希さんへの愛情は、彼女が言うとおり父親や兄弟に近いものだったと気づかされた。
それを、僕はまだ納得出来ないでいる。
認めてしまえば、夏希さんと付き合っていたことは全て無駄だと言われてしまいそうな気がして。
そして、家族の温もりを求めて夏希さんを利用したことになる。
なんて、非道で卑怯で臆病者なんだろう。
夏希さんに申し訳ないと思う後ろで、もう上田の陣内家にお邪魔することが出来ないことに、がっかりする自分がさらに嫌だった。
「恋人じゃなくて家族、か。夏希先輩、ガチで良い女だよな」
そんなの、佐久間に言われなくても夏希さんは素晴らしい人だよ。
なんて考えていると佐久間が、ビシッと人差し指を立てる。
「夏希先輩、お前の為に別れたんだよ」
「……なんだよ、それ。わかんないよ」
なぜ別れることが僕の為になるのかわからない。
「夏希先輩は、別れる必要が無いこともちゃんと知っていたんだ。二人が家族愛を恋愛感情だと勘違いしたまま、付き合っても……果ては結婚しても問題はない。お前等がそれでいいなら、十分幸せになれたはずだ」
佐久間は僕が小さく頷いて話を聞いているのを確認して、話を続ける。
「でも、それをしなかった。自分が楽な道を選ばずに、健二がもっと幸せになれる道を選ばせた。お前は、結婚するより確実に夏希先輩を一生の家族として手に入れたんだよ」
婚姻届のような、証明書はないけどな。
という佐久間の言葉を聞きながら、僕は心中に吹き荒れる感情と思考の嵐を収めることが出来ないでいた。
「お前さんが、ちゃんと消化しきるまで少し時間が必要だろうな。夏希先輩が留学してて良かったな」
ゆっくり考えれば良いさ、と佐久間は意味ありげに笑って保守点検作業に戻った。
確かに、夏希さんとは別れ話をした年末の帰国時以来、直接会ってはいない。
メールや電話、なんとか覚えたOZでのチャットで今もまめにやりとりしているが、直接会わない現状は僕にいろいろ考える時間を与えてくれる。
唯一つだけ判ることは、僕はもう二度と陣内家の敷居を跨いではいけないのだ。
それが、どうしようもなく、悲しかった。
グダグダと思い悩む健二さん。
健二さんが夏希の考えと想いを理解するにはまだ時間が掛かるでしょう。
色々引きずることも、考えていたことも多いでしょうし。
何より、栄おばあちゃんとの約束が一番健二さんにとってネックになってるでしょうからね。
さあ、ここからが本番ですよ。