「まあまあ、お帰りなさい。健二君に夏希、さあお上がりなさい」
入道雲のかかる夏の空を背に、万里子から歓迎の言葉をかけられた健二と夏希は、太陽のような笑顔で「ただいま」と応えた。
パッと明るく華やぐような夏希のそれとは違い、健二の笑顔はフワリと静かに相好を崩す柔らかなものだが。佳主馬は、健二の笑顔こそ自分にとって夏の象徴であり、上田に来たと実感できるものだと思うのだ。
「あ、健二だ!健二ー!」
「健二兄ー」
「けんにいー」
バタバタと廊下を賑やかに駆けてきたチビッコどもが、いつも通りの勢いで健二に飛びつく。
「わっ、と。こんにちは、久しぶりだねえ皆。加奈ちゃんもまた大きくなったねー」
驚いた声を上げながらも倒れたりしなかったのは、飛びついたのが一番チビッコの現在幼稚園年中組の加奈だけだからだろう。
祐平と真吾は小5になっただけあって、少しだけ思慮深くなったようだ。
それを眺めながら佳主馬は今年3歳になる妹を抱っこしたまま玄関の上り框に腰掛けて靴を脱いでいる健二たちに近づいた。
「お帰り、健二さんに夏希姉ちゃん」
「おかえりなさー」
佳主馬の声かけを真似て紗佳栄がキャッキャッとはしゃいだ声を上げる。
「佳主馬に紗佳栄ちゃんも、久しぶり!元気だった?」
廊下に上がった夏希がすっかり追い越された佳主馬を見上げる。
「俺は元気。でも紗佳栄が最近夏バテ気味」
冷たいものばかり食べたがって困るよ、と母親みたいなことをつぶやく佳主馬に夏希が吹き出す。
「やだ、もう。すっかり良いお兄ちゃんね」
健二もにこにこと朗らかに笑んで頷く。
「さーちゃん自慢のお兄ちゃんだもんね」
「あい!」
健二の言葉に紗佳栄が元気に返事を返したのに、笑いがはじける。
「あははは、紗佳栄にはかなわないわね。さ、二人とも荷物をおいて、おばあちゃんに挨拶してらっしゃい。そうしたら、おやつにしましょ。スイカを冷やしてるわよ」
万里子の言葉に子供たちが「スイカスイカー!」とはしゃぎながら駆けていく。
紗佳栄も佳主馬の腕から降りて、加奈に手を引かれとたとたとついていく。
佳主馬はそれを見送りながら照れくさそうな微妙な表情をしていて、健二と夏希は顔を見合わせて忍び笑う。
「なに?」
笑いに気づいた佳主馬の訝しげな表情に、二人で「なんでもなーい」と声を揃えて荷物を持って立ち上がる。
「じゃ、荷物を置いて仏間に来てね、健二君」
「あ、うん。すぐ行くね。じゃあ、佳主馬君また後で。スイカ残しておいてよ」
健二の言葉に、善処はするよと答えて佳主馬は二人がそれぞれ自室に向かうのを見送る。
健二はすっかり家族として扱われて、遊びに来たときに滞在する部屋を貰っている。
もとは客間で、健二が初めて来た年に泊まった部屋を、万里子は健二専用として提供してくれたのだ。
すっかり迷うこともなくなった足取りで、無駄に恐縮することのなくなった様子に、健二がしっかり陣内に馴染んだことを実感する。
佳主馬はしばらくの間健二の曲がった角を眺めて、静かに居間へと足を向けた。
栄への挨拶を済ませた二人は、居間で仲良くスイカを食べているチビッコたちの輪に入った。
「なー、健二!裏の朝顔畑がすごいんだぜ!明日の朝、散歩するぞ!」
「あのね、健二兄。ヒマワリもすごいの、一緒に行こうね」
祐平や真緒がここにきて見たものを、先を争うように口に上らせる。
「うん、朝顔とヒマワリだね。毎年綺麗だもんねぇ、楽しみだなあ。さーちゃん、手と顔を拭こうね」
ちゃっかり己の膝の上に陣取った紗佳栄の世話を焼きながら、健二がにこにこと答える。
賑やかで優しい時間が、健二を取り巻く。
食べ物も水も空気も。
うるさいくらい響く蝉の音すら、健二にとっては心地よい。
健二の欲しいものが全て、ここにある。
両親は相変わらず仕事で忙しく、夫婦仲は致命的ではないが頑張って休みをすりあわせる努力をするほどではない。
時折思いついたかのように健二を連れて母親が単身赴任中の父親の元に行くのだから、仲が悪いことはないのだ。
あれで二人はちゃんと夫婦だし、健二の家族だ。
ただ、我が子より仕事を優先しているだけだ。
信頼されている、と健二はわかっている。
だから安心して家を空けられるのだろう。
だが、ガランとした家にポツンと一人取り残される気持ちはわからないのだ。
だから健二は、いつ帰ってくるかわからない親を、閑とした寂しい家で待ち続けることに疲れてしまって、大学進学を機に一人暮らしを始めた。
帰ってくる人がいるから待ってしまう。
そして、毎回裏切られて落胆する。それを繰り返すよりも、一人きりの部屋で誰を待つ必要もなく暮らす方を健二は選んだ。
一人暮らしは寂しいものだが、陣内家はその寂しさを補って余りあるくらい、暖かく優しい。
健二にとって陣内の人たちは、自分を支えてくれる大切な家族だ。
子供たちや、暖かく声をかけてくれる大人に囲まれて表情を和ませる健二を見て、夏希は連れてきて良かったといつも思うのだ。
夏希も佳主馬も、その他の大人たちも。
全員、健二が寂しがりやだというのをよく知っている。
だから、健二に構うのだ。
「お、健二か。久しぶり、相変わらずモテモテだな」
あれから三年、過去のわだかまりをすっかり払拭……とまでは行かないが、年二回の集まりに顔を出すようになった侘助がチビッコたちに囲まれた健二を見て笑う。
「侘助さん、お久しぶりです」
「侘助おじさんだって、健二君が来れないときはモテモテでしょ」
子供たちは、本能で寂しさを感知するのだろうか。
陣内で寂しがり屋ツートップの二人は、やたら子供たちにもてている。
「あ、侘助さんこの間はありがとうございました。佐久間もすごく感謝してましたよ」
健二の言葉に「役にたったならよかった」と侘助が笑い、そのやりとりに夏希が興味を示した。
「え、なになに?何の話?」
「プログラムベース構築中に、マクロが原因不明の変な動きをして困っていたのを、侘助さんが解決してくれたんだよ」
あの時は、メインプログラマーの佐久間が三日間徹夜で大変だったなぁ、としみじみつぶやく健二に夏希はよくわからないが三日徹夜は大変だな、と思う。
「あと、佳主馬君もありがとう。さすがアセンブラの知識量が凄いね、まだ高校生だって言ったら教授達がビックリしていたよ」
凄く鼻が高かったよ、と嬉しそうに言う健二な佳主馬もかすかに笑う。
「まあ、それを生業にしてるからね。判ることなら、いつでも教えるよ」
数学を教えてもらってるしね、と言って佳主馬はスイカを食べ終わって健二の膝から移動してきた紗佳栄を抱き上げる。
「ありがとう、その時はよろしくね」
ほわり、と表情を和ませて健二は嬉しそうに笑う。
「健二君、今日の夕飯のおかずに食べたいものはある?もう一品作りたいのよね」
万里子が台所から顔を出して声をかける。
ヒョロリと細い健二の体型に、陣内の女性陣はいつもたくさん食べさせたがる。
「あ、じゃあポテトサラダが食べたいです。前回いただいたのが、すごく美味しかったです」
「ポテトサラダね、奈々ちゃんが喜ぶわ。たくさん作るからいっぱい食べるのよ」
朗らかに笑って、万里子は再び台所に引き返した。
今日も健二を取り囲む上田の空気は優しい。
それが幸せでたまらないのだろう、健二は上田にいる間中、常に晴れやかに笑んでいるのだった。
夏の風景。
水も、空気も、空も、食べ物も。全てが健二さんが求めているもの。
と言う感じの話を書きたかったのです。