真夏は夜明けが早い。
上田にある陣内家では、空が白んでくる早朝から活動が始まる。
女性陣は、朝食の支度に台所で動き回る。
男性陣はのんびりしたもので、惰眠を貪ったり適当に起きて子供たちと一緒に手水を済ませる。
健二は男性陣と一緒に井戸で顔を洗ったり歯を磨いたりすることもあれば、女性陣に頼まれて足りなくなった野菜を畑にもぎに行くこともある。
さらに言うなら、朝まで数式に夢中になって朝ごはんだと怒鳴り込まれるまで気付かないこともあったりする。
健二を起こすのは、基本的に子供たちの仕事である。
我先にと健二が寝ている客間に駆け込んで蚊帳を潜り、起きろとはやし立てる。
本日の朝も、子供たちがわいわいと健二を起こした。
「おはよう」
流石にどすんと体重をかけて起こすようなことはしなくなった(というか、流石に家族から鉄拳制裁されて自重するようになった)真悟と祐平たちに挨拶をして、いつもより早い時間に起こしに来た子供たちに首を傾げる。
携帯の時計は、いつもの時間よりおよそ1時間くらい早い。
「今日は早いね」
そうやって健二が問えば、子供たちが口をそろえる。
「だって、散歩行くっていっただろ。朝顔畑とひまわり畑見るって!」
忘れたのかよ、と不満そうな子供たちに「ごめんごめん」と謝って健二が頷く。
「うん、そう言ってたね。お昼に行くと思ってたんだよ。…でも確かにそうだね、朝顔はやっぱり朝に見るべきだよね」
子供たちの願いは聞き入れなければなるまい、と健二は散歩に行こうかと立ち上がる。
「着替えていくから、皆も準備して待ってて。朝でも帽子はちゃんと被ること」
一人っ子ではあるが、上田では子供たちに囲まれているせいか健二は子供たちの扱いに慣れてきた。
本当に兄のようなことを言う健二に「はーい」と答えた子供たちが蚊帳から潜り出て、帽子を取りに行くためにパタパタと駆けていった。
健二はそれを見送って、布団を上げて着替えると洗面を済ませて子供たちが待っているだろう玄関に向ったのだった。
「あれ、夏希さん」
「健二おそいー」
「おはよ、健二君」
玄関では、子供たちのほかに夏希の姿もあった。
どうやら、加奈や真緒に起こされたようだ。
「引率役その2です。涼しいうちに散歩もいいよね」
そんなこんなで、夏希も早朝散歩に参加するようだった。
朝顔は、一面に今が盛りとばかりに咲き乱れ、鮮やかな赤や青の花弁を目いっぱい開いていた。
向日葵は、太陽を見上げて精一杯背伸びをして立っている。
健二よりもずっと高い向日葵は、一面に植えられていて子供たちが戯れに飛び込んでいけば、どこにいるかわからないくらいである。
「あんまり遠くにいっちゃだめよー!」
「もうすぐ朝ごはんだからねー」
夏希と健二の言葉に、わかってるー等と返事をしながら子供たちは誰を見つけただの、どこに行ったかだの言って楽しそうにはしゃいでいる。
早朝の少し冷たい澄んだ空気と、まだ色の薄い空。
これから熱くなるのだろうと予想させる白い雲、気の早い蝉の声。
そして咲き誇る向日葵や朝顔に、健二は上田の夏を実感する。
「健二君、疲れちゃった?」
少し黙り込んだ健二を、夏希が心配そうに見つめる。
「ううん、大丈夫。空気がひんやりして気持ちいいなって」
そう返したとき、遠くから「ごはんよー」と言う声。
「朝ごはんだって、行こうか」
健二は夏希に向って手を差し出してから、遊びまわっている子供たちに「朝ごはん出来たって、帰るよー」と声をかける。
その手を握り返して、わらわらと向日葵畑から出てきた子供たちと並んで母屋に向う。
お腹すいたね、今日は何をして遊ぼうか、宿題はどうしよう。
子供たちの会話に耳を傾けながら、夏希と手を繋いで歩く。
健二は、胸が温かい幸せな気持ちでいっぱいになる気がしてほわりと笑う。
そして母屋に戻る途中、万助に早朝稽古をつけてもらっている佳主馬を見つけて「相変わらず、凄いな」と思うのだった。
朝起きて、師匠と約束している早朝稽古の為に手早く身支度を済ませた。
途中で、ちびっこたちが健二さんたちと散歩に行くから、一緒に行こうと誘いに来た。
凄く魅力的な誘いだけど、師匠との稽古があるから結局断った。
毎日の鍛錬は欠かしてはいけない。
そんな大層な大義名分を振りかざしてはいても、自分自身の本心に蓋は出来ない。
見たくないのだ。
恐らく、子供たちは健二さん以外にも夏希姉ちゃんに声をかけているだろう。
そして夏希姉ちゃんもしょうがないといいながら、引率として参加するのだ。
健二さんと並んで、もしかしたら手を繋いで。
二人はとても仲の良い恋人同士で、それを見るたびに胸がじくじくと痛む。
この気持ちが、恋だと知ったのはいつからだっただろう。
背が伸びて、健二さんに追いついたとき。
思った以上に華奢な体を支えた時。
あの笑顔に、抱きしめたいと思ったとき。
そのどれもが、小さな感情だったのだろうけど。積もり積もって、大きく育った。
ただ「好き」という気持ちが、すとんと胸に落ちてきて今もずっと居座っている。
言い出せなくて表にも出せなくて、誰にもいえなくて。
中の良さそうな二人を見るたびに、じくじくずきずきと痛む胸をこっそりと抑えて何事もないように振舞う。
何よりも大切なのは、健二さんの幸せ。
自分の心がどれだけ痛みを訴えようとも、それだけは譲れない。
だから、ほら。
遠くからちびっこどもに囲まれて、夏希と手をつないで幸せそうな微笑を浮かべて帰ってくる健二さんが。
これからもずっと、幸せに笑ってくれるように。
気付かれないように、ただひっそりと思えば良い。
自分さえ黙っていれば、この想いを知られることはない。
誰にも知られてはいけないから、細心の注意を払って静かに貴方を想うよ。
この胸の痛みこそが、僕が彼に恋をしているという証。
そう、思って。
おはようと手を振ってくる健二さんたちに、小さく手を振りかえした。
最後だけ佳主馬視点の佳主馬一人称。
だから、少し読みにくいかもしれませんが。
健二さんが幸せそうに夏希と手を繋いでいる場面と、佳主馬がどんな風に健二さんを思っているのかを書きたかった。
辛い痛みを抱え込んで、恋を甘受する佳主馬。格好良いなあ、ほんと。