最初で最後のあなた

『さーてさてさてさて! 今日もやってきたぜ〜! モニタの前で待ち構えてるレディース&ジェントルメンども、トイレには行ってきたか? ポップコーンの用意はいいか? 余りの格好良さにしびれる準備はOK!? 皆のお待ちかねのメインイベント! キーーーーーング・カズマの登場だあああ!』
 いつものリポーターの煽り文句にそよとも揺らがないシルエットに、スポットライトが当たる。
 とたんに観客席から怒涛のような完成と紙吹雪が舞い踊る。
 照らし出されたシルエットは、おなじみOZのヒーローであるキング・カズマが腰に手を当てて堂々と立っている。
『さーーて、OMCことOZマーシャルアーツチャンピオンシップ! いよいよメインバトルが始まるぞ! キングのベルトを奪わんと、挑戦者が現れたああ!』


「健二さん、また見てるの?」
 佳主馬の少し呆れ混じりの声が、モニタに釘付けの健二にかけられる。
 東京でスポンサーとの打ち合わせがあると上京してきた佳主馬は、健二の部屋に泊まりに来ている。
 風呂から上がったばかりの佳主馬は、肩にかけたタオルで髪を拭きながら健二が座ってるパソコンデスクの側に近づく。
 つい数ヶ月前、佳主馬はこの四歳年上の男の恋人と言うポジションを手に入れた。
 名古屋と東京の遠距離恋愛ではあるが、もう一年程前から健二に会いたいが為に頻繁にこちらでの仕事を入れているので世の遠距離恋愛者よりも恵まれていると言えなくもない。
 だが当の恋人は現在、半月ぶりに泊まりに来た佳主馬そっちのけで、キング・カズマのバトルDVDに夢中でもう何度も見ているのに飽きることはないらしい。
 自分のアバターとは言え、せっかく側にいるのにこちらを見てもらえない佳主馬はちょっと面白くない。
「健二さーん? 風呂空いたよ」
 健二の肩に手を置いて耳元に息を吹きかけるように囁けば、流石に集中していた相手も飛び上がる。
「うひゃぁ!?」
 色気の全くない悲鳴にますます呆れながら、佳主馬はもう一度「風呂、空いたよ」と告げる。
「あ、う、うん」
 顔を真っ赤にしながらも何とか頷いた健二は、DVDを一時停止させて立ち上がる。
 よりによって『誰の挑戦でも受ける』と宣言してるシーンで止めることはないんじゃないかと問い詰めたいが。
「あ、冷蔵庫に水を冷やしてるからね」
 風呂に向かった健二の言葉に甘えて、佳主馬は冷蔵庫からミネラルウォーターを失敬して喉を潤す。
 リビングに戻ってカーペットに腰をおろすと、健二が寝室兼PC部屋として使っている部屋が目に入る。
 学生向けアパートなので、広くはないが1LKでバストイレが別になっているなかなかの良物件だ。
 何度も泊まりに来ているため、すっかり馴染んだ佳主馬はゆったり寛ぎながら目に入ったモニタの画像から目を逸らす。

 子供のツッパった強がりだったのだ、『誰の挑戦でも受ける』だなんて。
 負けない気概はあるつもりだけど、絶対に勝つ自信があるとは言い切れない。
 拳を交えるまで、敵の強さなんかわかりはしないのだ。
 中には何度も戦ったことのあるアバターだっている。
 前回勝ったとしても、今回だって勝てるかどうかはやってみないと分からない。
 負けるつもりは1ミリたりともないけれど、相手がどんな強化やトレーニングを積んできたかなんて、本人にしか分からない。
 佳主馬自身、たゆまぬ努力やトレーニングを欠かしていないつもりだし、それに裏付けられた実力もパワーアップもしていると言える。
 でも、必ず勝つ保障はないのだ。
 全身全霊かけて、勝つためにできることはすべてやっていても、誰にも負けたくないという強い意志を持っても。
 負けるときは、いつか来るかもしれない。
「……なんて、言えないよね。誰にも」
 佳主馬はポツリとそう呟いて、苦い笑みを浮かべる。
 ヒーローはいつもヒーローでなければならない。
 威風堂々として『誰の挑戦でも受ける』と揺るがない自信を持っていなければならない。
 弱音を吐くなんて言語道断。
 それがわかっているからこそ、佳主馬は負けるかも知れないと言う不安と弱音を、精一杯の虚勢を張ってバレないように自信と言う名のオブラートでくるんで隠してしまう。
 両親にも、友人にも、誰にも吐けない弱音を抱え続けてそれでも勝ち続けなければならないと、自分を戒める。
「ちょっと……疲れるけどね」
 ミネラルウォーターを飲み干して、益体もない思考を断ち切ろうとする。
 けど、今日に限って上手く断ち切れずに胸の中に燻ったままどうしても振り払えなかった。

「……ねえ、佳主馬君。何かあった?」
 そんな風に健二が心配そうに声をかけてきたのは、彼が風呂から上がってきてすぐだった。
 あまりにも不意打ち過ぎて、「何でもないよ」と上手く笑えずごまかすのに失敗する。
 どうしてこの人は、普段驚くくらい鈍いのにこういう時ばかりやたらと鋭いんだろう。
「言いたくない事なら仕方ないけど……。誰かに喋るだけでも、心が軽くなるって事あるからさ」
 無理しなくて良いよ、と気を遣いながら微笑む健二は頼りなげでもやはり年上の落ち着きがあって、佳主馬は余計に胸が痛む。
 いっそ、全部話してしまえ。あなたが憧れてやまないOZのヒーローの中の人は、こんなにも弱くて情けない奴だと幻滅すればいい。

 自暴自棄な気持ちで、普段なら絶対に言わないことを口に上らせようとする佳主馬は、やはりどこか疲れていたのかも知れない。
 自分を偽り戒めることに。
 そして、どこかで期待していたのかも知れない。
 健二がそんな弱音をまるごと包み込んでくれる事に。

「キングだって、皆がもて囃すけど……。俺は、勝ち続ける自信なんか全然ないんだ」
 そんな言葉を皮切りに、佳主馬はまるで何かに急かされているかのように矢継ぎ早に、健二に向かって己の強がりの裏にある不安や弱音をありったけ全部吐き出した。
 いつか負けるかも知れない。
 トレーニングを積み重ねたって、それ以上にトレーニングをしてる人がいるかも知れない。
 誰にも弱音が吐けない、キングはいつもヒーローでなくちゃ許されない。
 だけど……時々、すごく辛い。

「……馬鹿みたいだよね。あんなに格好つけてる癖に、中身は所詮ガキでしかないんだ」
 自嘲の笑みを浮かべながらしゃべり続けた佳主馬の言葉を、健二は最後までジッと聞いていた。
 そして、全部聴き終わった後ゆっくりと深呼吸して……嬉しそうに微笑んだ。
 幸せそうなその微笑みに、佳主馬は一瞬言葉を失って。
 そしてカッと頬に朱を上らせ、眉をキリリと引き上げる。
「俺、真面目に話してたんだけど」
 なんで、そこで笑うの、真面目に聞いてよ。と言いかけた唇を、健二の人差し指がそっと塞ぐ。
「ごめんね。でも、嬉しくて……。いつも佳主馬君は格好良くて、年下とは思えない貫禄があるのに。やっぱり年下なんだなって思うと、嬉しくなちゃった」
 邪気のない笑顔で、佳主馬が今ぶちまけた弱音に呆れも怒りも引きもしないで健二が笑う。
「なんだか、久しぶりに佳主馬君が年相応の高校生に見えるな。……かわいい」
 頬を紅潮させてまで嬉しそうにしなくても良いんじゃないかと思いながら、佳主馬は先程湧き上がった怒りがいつの間にか萎んでしまっていることを自覚する。
「ありがとう、聞かせてくれて。佳主馬君が、誰にも弱音を吐きたがらない人だって知ってるけど……。君の荷物を少しでも、僕は分けて欲しかったんだ」
 だから、とても嬉しいと重ねて言われて、佳主馬は返答に困ってしまう。
 一体、目の前の人はなんど惚れ直させれば気が済むんだろう、と思いながら。
 いつの間にか胸にくすぶっていた不安や焦燥が消えていることに気づいた。
 そして、同時にすとんと納得する。
 不安を持っていても良いんだ、と。
 押しつぶされそうになれば、健二に聞いてもらえば良い。そして、英気を養ってまた頑張れば良い。
 そんな簡単な事なのに、今まで誰とも馴れ合おうとしなかった佳主馬には気付かなかった。
 目の前の、誰よりも大事な人が教えてくれなければ、ずっと気づけなかっただろう。
 佳主馬は、つくづく思う。
 どんなに強がっても足掻いても、健二には絶対かなわないと。
「僕は、格好良い佳主馬君も。可愛い佳主馬君も、全部大好きだよ」
 可愛い佳主馬君に大サービス、と健二が佳主馬の頬にキスを落とす。
「……俺、かなり現金かも。今ので、全部報われた気分になるなんて」
 お手軽すぎない? とちょっと複雑な表情で呟くと健二が弾けるように笑い出す。
「そりゃ、愛が篭ってますから」
 特効薬でしょ、と言われて佳主馬は「確かにそうかも」と思う。
 健二が見ていてくれるだけで、どんな強敵にだって楽に勝ててしまう自信が湧いてくる。
 そんな事を思いながら、佳主馬は健二の腰に腕を回してそっとだきよせた。


 日曜の夜。
 明日は月曜なので、佳主馬は名古屋に帰らなければならない。
 新幹線の改札口まで見送りに来てくれた健二と、そっと手を繋いで新幹線のアナウンスを聞く。
 二人でいる時間は、あっという間でいつも離れがたい。
「あ、最終便だね」
 健二の言葉にうん、と頷いて切符を取り出す。
「じゃあ、行くね。帰ったらメールするよ」
「うん、待ってるね。気をつけて」
 改札の前で手を離す時が、一番切ない。
 いつもは、離れがたくて未練を振り切るように振り返らずにホームまで一直線に向かうけれど。
 佳主馬は、今日は一つだけ確かめたいことがあった。
 改札を遠って五歩進んだ場所で振り返ると、佳主馬の珍しい行動に健二が少しだけ瞠目して……嬉しそうに微笑んだ。
「またね、佳主馬君」
「うん、また……来るよ」
 釣られて笑みを浮かべて答えた佳主馬は、じゃあと手を振ってこんどこそ振り返らずにホームに向かう。
 新幹線に乗り込んで、ドアが閉まる瞬間。
 昨日の苦しい焦燥とは違う感覚で、胸がきゅうと苦しくなる。
 切ない。
 愛しくて大切で、どうして良いかわからないくらい、切ない。
 はぁ、と胸の切なさを逃がすように息を吐き、不意に脳裏に浮かんだ言葉に佳主馬はそっと笑う。

――きっと健二さんは、俺に取ってずっとずっと最初で最後の人なんだ。

 こんな気持ちにさせて、胸を苦しくさせるのも不安を取り除くのも、きっと健二でなければ出来ないんだろうと佳主馬は思う。
「ほんと、どう足掻いてもかなわないや」
 彼になら負けても悔しくないな、とむしろ嬉しそうに微笑んで佳主馬は家路についた。

 その後、常勝無敗のキング・カズマの特別インタビューと言うイベントで彼が呟いた一言がOZ中を席捲するのだが、その真偽は確かめられないままであった。


【Q.公式戦では無敗ですが、負けたことはありますか?】
【A.どうやっても勝てない人ならいる。OMCじゃないけどね】

ちょっと弱気な佳主馬と、年下と言うことを実感してかわいいなあと思う健二さん。
MEMOでも書きましたが、BUMPのリリィが大好きです。
聞く度にキュンキュンしてたまりません。
思わずカズケンで変換してしまうくらい……!
と言うわけで、高校二年佳主馬と大学三回生健二のラブ話しですw
2〜3月の高校三年への進級前くらいのイメージです。